狂おしくも切ない恋愛を描く 同性愛への偏見を描くところから一歩前へ『窮鼠はチーズの夢を見る』行定勲監督

人間の普遍を描く

――最後のベッドシーンでは二人の役割が変わりますね。 行定:最後のベッドシーンは、二人が何度も体を重ねて恭一も男性と自然に繋がれるようになっていたということが前提のシーンです。そのプロセスの結果をきちんと描きたかったんですね。恭一が完全に今ヶ瀬を受け入れているのかはわかりません。しかし、覚悟は決めて今ヶ瀬を抱いていると。恭一は最初は今ヶ瀬を愛することに対して無自覚でしたが、体が追いつき、やがて心もそこに伴っていったことを表現しました。  とはいえ、今ヶ瀬は幸せになると不安になります。一回成立してしまうと不安になるのは恋愛の本質ですよね。最後のベッドシーンは最初の脚本にはありませんでしたが、肉体的に満足を得た後、恋愛の抱える本質的な不安がやってくるということもきちんと描きたかったんです。 ――この作品には、相手のために自分の愛を諦めるジャン・コクトーの『オルフェ』のシーンがありますね。 行定:脚本には「今ヶ瀬が映画を見ている」と書いてあっただけで作品の指定はありませんでしたが、ジャン・コクトーの『オルフェ』がいいと思いました。それは、香港出身の俳優、レスリー・チャンが亡くなる前に彼と話した時に、好きな映画は『オルフェ』だと聞いたことが記憶に残っていたからなんですね。  彼はその時、自分は常に「自己犠牲」を意識して生きていると語っていました。社会に対して自分を偽って生きていることも含めて、何かのために自分を犠牲にしていると感じていた。その彼の寂しさや憂いがとても印象に残っていたんです。  この映画では、今ヶ瀬の方が常に恭一の事を考えているわけですよね。ピュアさがある。一方、恭一は自分の欲望に正直なんです。そして、常に他の女性たちに対しても今ヶ瀬に対しても「好かれているから応じている」という構図がある。  今ヶ瀬はそのことを十分に感じていて、『オルフェ』を見ながら、このまま恭一への愛を貫くのか、それとも恭一を引き込むことをやめて、自分の気持ちを押し殺す方がいいのか逡巡しているのです。 ――「自己犠牲の愛」が今の若い人たちにどのように映るかは意識したのでしょうか。 行定:それは全く意識しなかったですね。今の社会では、50年前に作られた映画とオンタイムで作られている映画をサブスクリプションサービスで同時に見ることができます。その両者は同じ土俵で戦っているということなんですね。  そして、映画は記憶の中から作られているので、そもそもが懐古的なものなんです。本当に「今」を描いた作品であっても、公開されている頃はもう「今」ではない。  また、これだけ社会の変革が起こる時に、時を意識するのは意味がないと思っていることもあります。例えば、時を意識した映画を作るのであれば、行動様式が全く違うので、設定がコロナ前なのか後なのかが重要になります。でも、その表層的な部分に捉われると、映画を人間の本質を描いた芸術として成り立たせることは難しくなってしまう。
©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

 だとしたら、一番いいのは人間の普遍を描くことなんです。そのために引くのではなく人間に寄って撮ります。画角を狭める方が人間の物語が撮れるんですね。だから僕の映画は部屋の中のシーンが多いんです。同棲する二人の部屋が数多く登場する最新作の『劇場』は70年代の話だと評する人もいますが、あれは今の話です。70年代でも2020年でも人間の本質は変わらないのではないでしょうか。

初めての「恋愛」映画

――監督ご自身は今ヶ瀬と恭一、どちらに思い入れがあるのでしょうか? 行定:どちらかと言えば、恭一ですね。今ヶ瀬のピュアさは自分にあまりないかもしれない。僕は自分の欲望を最優先にしてしまう恭一に近いかもしれません。映画が最優先で、人との関係はその優先順位を崩さない範囲内で、という感じでしょうか。ずるいです、卑怯ですね(笑)。 ――ストレートな愛情をぶつけられた方がかえって苦しいのではないかと思うと、気持ちをぶつけっ放しの今ヶ瀬の方がラクでその分ずるいのではないかと思いますが……。 行定:今ヶ瀬はヘテロの男に恋をしちゃいけないことはわかっていると思うんですよ。なので、振られることが前提で、捨て身で恭一に対して何でもしてしまいます。
©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

 ところが、途中から恭一も自分に想いを向けてくれる今ヶ瀬の想いに気づき、その想いに答えようとしてしまう。性分なんでしょうか。そこで今ヶ瀬も愛されて初めてわかる苦しさを味わう。そこがこの物語の面白いところなんです。 ――映画を撮り終えた今、感想はいかがでしょうか。 行定:この映画を作る中で「恋愛って何でするんだろう?」ということが常に頭の中を駆け巡りましたね。僕は数々の恋愛映画を撮ってきましたが、「恋愛」映画の監督と言われることに対しては抵抗がありました。  恋愛は犠牲を払ってする特別なものというよりは、ご飯を食べる、排泄をする、セックスをする、そうした生活の営みの中にあるものでした。だから、ことさら「恋愛」というジャンルに特化して映画を作ってきたつもりはありません。「恋愛」映画の監督と言われることに対しては気恥ずかしいという思いが強かったんですね。  ところが、今回は違いました。最初から「恋愛」に特化した映画を作るという覚悟がありました。そして今は、やはり「恋愛映画」を撮り終えたという気持ちです。  何故この映画の登場人物たちはこれほどまでに恋愛に執着するのか。そんなことを考えながら初めて「恋愛映画」を撮りました。より多くの人たちにこの「恋愛」の顛末を見て頂いて、恭一や今ヶ瀬、また彼らを巡る女性たちの切ない気持ちや苦しい気持ちを味わって欲しいと思っています。 <取材・文/熊野雅恵 撮影/藤田直希>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。
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