——村上さんは『“隠れビッチ”やってました。』(2019)のオネエ的なキャラであったり、『ある船頭の話』(2019)の親しみやすいけれど不躾でもある役など、様々な役柄に挑戦されていますよね。『銃』(2018)では「自分の目線やテンションがもっと多角的になった」とおっしゃっていましたが、今回の役柄でも何か“掴めた”ものはあるのでしょうか。
村上 今回演じたのが何しろ“役者”なので、「今の自分よりも“卵”の状態だな」「これから彼が俳優としてどうなるかわからないな」「彼の順番が回ってくる“線路”があるのかはっきりしないとな」などと考えていましたね。
彼が抱えている悩みは非常に普遍的なものです。何しろ、向き合っているのは、現実だったりとか、目の前のライバルだったりとか、シンプルに自分の才能や役割だったりしますから。彼の本当の敵は、芽が出るかどうかもわからないことに、継続して努力するかということです。それはきっとどの業界でもあることですし、僕はこの業界しか知らないからこそ、彼のことを理解できました。でも、タカラと比べれば圧倒的な弱者じゃない、精神的な強さがあることにも翔太というキャラクターの意義があると思います。とは言え、犯罪者になってしまっていますし、文化的に恵まれているかと言えば、そうではないんですけど。
——ご自身が俳優だからこそ、俳優を目指している翔太には、それほど悩むことなく役に入り込めたのですね。
村上 そうですね。そう言えば、撮影時にはクエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)がまだ公開されていなかったんです。あちらも役者が役者を演じる映画でしたから、観ていたらむしろ彼をどう演じればいいかを迷っていたかもしれないですね。
また、僕は2世俳優(村上淳の息子)であり、東京出身であるため、確固たる地元がないんです。僕が演じた翔太も、そうした帰る地元がない、もしくは自分の成功を掴みきるまでは帰らないような性格のような気がしました。そこでも、翔太と僕は似ている気がします。
——劇中では、翔太が演技を怒られるシーンがありましたよね。あの“演技下手”の演技には苦労などはなかったのでしょうか。
村上 実は、僕にいきなりオーデションの話が来て、急に脚本を読んで覚えて演技しろって言われたことがあるんです。だから、あのシーンはある意味で僕の実体験なので、苦労はありませんでした(笑)。「こいつダセえな」って自分にムカつきながら演技できたのは面白かったですね。
参考にした作品はほぼなく、モットーは“やりたいことを思い切りやる”こと
——罪を犯した人間が共に逃げることなどから、『俺たちに明日はない』(1967)のようなアメリカン・ニューシネマを意識しているのかな、とも感じました。作品を手掛けるに当たって、参考にしたり、影響を受けた作品があれば教えてください。
外山 参考にした、影響を受けた作品はほとんどないんですよ。あえて挙げるのであれば、作家主義という意味で『青春の殺人者』(1967)などのATG製作・配給の映画を意識していたところはあるかもしれないですが、何しろそれは自分が生まれる前の映画ですしね。何より、今回は自分のオリジナリティを打ち出し、やりたいことを思い切りやろうというモットーで製作を続けていました。
村上 僕も監督と同じく、参考にした作品などはありません。あえて挙げるのであれば、外山監督に雰囲気の参考として、ダルデンヌ兄弟監督の『ある子供』(2005)を「気が向いたら観てみて」とオススメされたというくらいですね。
外山 アメリカン・ニューシネマを重ねて観ていただけるというのは、こちらの意図とは違うのですが、興味深いですね。街並みの撮り方や、全体的な雰囲気、逃避行という王道とも言える物語のためでもあるのか、「昭和っぽい」という感想もいただいたことがありました。いずれにせよ、懐古主義ではない形で、そういったアメリカン・ニューシネマや、昭和の雰囲気が表れた作品が現代に作られるのは、良いことだと思います。
映画『ソワレ』は、8月28日より全国にて公開。
村上虹郎 芋生 悠
監督・脚本 外山文治
配給・宣伝:東京テアトル PG12+
(C) 2020ソワレフィルムパートナーズ
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