なぜ「憲法53条」に基づく臨時国会の召集規定に「期限の定め」がないのか? 憲法が私たちに託するもの

臨時国会の招集から逃げ続ける安倍総理ら

臨時国会の招集から逃げ続ける安倍総理ら(写真/時事通信社)

野党による臨時国会の召集要求

 立憲民主党や日本共産党などの野党は、7月31日に憲法53条に基づき、臨時国会の召集要求を衆議院議長に提出しました。毎日新聞によると、立憲民主党の安住淳国会対策委員長は「事態が悪化する中、国会を開かないのは政府の怠慢だ。首相が速やかに開会を決断することを強く要求する」と、要求理由を示しました。  これに対し、自由民主党の森山裕国会対策委員長は、8月4日に立憲民主党の安住国対委員長と面会して「早期召集は難しい」と回答しました。毎日新聞によると、安倍晋三首相は記者団に対して「臨時国会については、新型コロナ対策をはじめ諸課題を整理した上で、与党とよく相談して対応したい」と語りました。例年では9月下旬頃から開会される、定例的な「秋の臨時国会」すら11月以降になる可能性が取りざたされています。  この憲法53条に基づく臨時国会の召集要求については「法的義務」があるとの判決が示されています。2020年6月10日、那覇地方裁判所での判決です。朝日新聞によると、内閣が要求に基づいて国会を召集しなかった場合、法的義務があるために「違憲と評価される余地がある」と示しました。  しかし、安倍内閣は召集要求について、馬耳東風を決め込んでいます。それどころか、定例的な「秋の臨時国会」ですら、できるだけ召集しないようにしています。  そこで、改めて憲法53条がどのようなものか、期限の規定がないのはなぜかなど、課題を振り返ってみましょう。そこに、大きなすき間が見えてくると同時に、誰がそのすき間を埋めるべきなの見えてきます。

憲法53条の国会召集規定とは

日本国憲法第53条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。 国会法第3条 臨時会の召集の決定を要求するには、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の議員が連名で、議長を経由して内閣に要求書を提出しなければならない。  臨時国会の召集要求は、衆議院(参議院)の意思として、内閣に提出されます。具体的には、議員が連名で所属院の議長に対して行い、議長がそれを内閣に提出します。憲法は本件について、4分の1の意思であっても、その院全体の意思として認める規定を設けているわけです。議長を経由するというのは、院の意思であることを示すためです。  この規定に基づいて召集された臨時国会は、珍しいことでない一方、要求から召集まで数ヶ月ほどかかるのも珍しいことではありません。期日の定めがないことと、国会が内閣に召集を強制する手段がないため、結局のところ、内閣次第となってきました。  そのため、憲法53条に基づく召集要求については、しばしば憲法上の論点となってきました。論点は大きく二つです。一つは「期日の定めなどがないのは問題なので、国会法などで補充的に定めるべきではないか」というもの。もう一つは「そのような定めを設けると、国会議員によって濫用されるので、現状のままにすべき」というもの。前者が国会の視点、後者が政府の視点といえるでしょう。  難しいのは、国会法で要求から召集までの期日などを定めても、内閣に強制できないことです。なぜならば、国会の召集は「天皇の国事行為」と憲法で定められ、それには「内閣の助言と承認」を必要とするからです。国会法で召集期日を定めても、内閣が承認しなければ、国会を開くことはできません。  国会が自らの意思で開会できないことは、明治憲法(大日本帝国憲法)を引き継いでいます。明治憲法は、第7条で「天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス」と規定していました。なぜならば、帝国議会は天皇の協賛機関であって、天皇が協賛を求めるときだけ開けば、それで十分との考え方が背景にあったからです。  日本国憲法は民主主義を基調とする先進的な憲法ですが、細部にはそれに反する点がいくつかあり、憲法53条の規定の不備はその典型です。憲法が、最終的に法制局などで成文化される際、守旧的な改変の「日本化」が行われていました。憲法の「日本化」に関心をお持ちの方は、古関彰一著『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫)をご覧になるといいでしょう。
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安倍内閣に特有の憲法軽視
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