シリアで拘束された安田純平氏が日本政府に情報公開請求、ネットで拡散するデマに反論

内閣官房も「人質」ではなく「拘束」「行方不明」と表現

 内閣官房の文書は、私たちの件だけが書かれている「4月15日に報道されたイラクにおける邦人拉致について」という「平成16年4月15日07:00現在」の文書に続いて、3人の件と合わせて書かれている「在イラク邦人人質事件について」という同名の文書が4つ、計5つの文書が公開された。
内閣官房の最初の公文書

拘束翌日の「平成16年4月15日07:00現在」付の内閣官房の最初の公文書。日本政府は最初に報道によって拘束の情報を得たため、「新たに2人の邦人が人質となった旨…の報道があった」との表現になっている

「4月15日に報道されたイラクにおける邦人拉致について」は拘束翌日に作成されたもので、報道されたものをまとめてあるだけの、恐らく最初に作成された文書だ。「政府の対応」として「正確な事実関係を確認するため、情報収集に全力をあげているところ」と書かれている。報道が「人質」と書いているので公文書でも「人質と報道」となっているが、これは日本政府としての認識ではなく、あくまで「報道がどうなっているか」を記したものだ。政府が拘束を知った端緒が報道からであり、それ以上のものを持っていない様子が見える。  続く4つの文書は、「平成16年4月15日17:30現在」「平成16年4月16日09:00現在」「平成16年4月19日8:00現在」「平成16年4月20日7:30現在」と解放後までの経緯を追うかたちで作成されている。
3邦人人質事件

「平成16年4月15日17:30現在」の内閣官房の公文書では、今井さん、郡山さん、高遠さんの件を「3邦人人質事件」としている

2邦人拘束情報の件

内閣官房公文書2と同じ内閣官房の公文書では、筆者の件は「2邦人拘束情報の件」で、3人の「人質事件」と書き分けている。外務省と同じ「拘束されたとの未確認情報」という説明に変わっているが、この時点でも報道を情報源としていることが分かる

2邦人拘束情報の件

「平成16年4月15日17:30現在」の内閣官房公文書では、筆者の件は「2邦人拘束情報の件」で、3人の「人質事件」と書き分けている。外務省と同じ「拘束されたとの未確認情報」という説明に変わっているが、この時点でも報道を情報源としていることが分かる

 これらの文書では「事件の概要」として3人の件の項目名を「4月8日・3邦人人質事件」とし、私の件の項目名は解放前の15日と16日の文書では「4月15日・2邦人拘束情報の件」になっていた。しかし、解放後の19日と20日の文書は「4月15日・2邦人拘束事件」に変わっている。解放されるまで拘束されていたのかどうか不明で、解放後に私たちから聞き取って、初めて拘束されていた事実を確認できたということだ。
3人の件は「人質事件」のまま

解放後の「平成16年4月20日7:30現在」付の内閣官房の公文書。3人の件は「人質事件」のまま

筆者の件が「拘束事件」に変わっている

「平成16年4月20日7:30現在」付の内閣官房公文書。筆者の件が「拘束事件」に変わっている。解放後の事情聴取で拘束されていたことを確認できたためと考えられる

筆者の件を「行方不明となっていた」と表記している

「平成16年4月20日7:30現在」付の内閣官房公文書。経緯の表の中で筆者の件を「行方不明となっていた」と表記している

 最後の20日付の文書は私が帰国した日付のもので、「主な経緯」の中に解放された4月17日の部分に「行方不明となっていた2人の日本人」と記されている。ここでも表現は「行方不明」だ。私たちの件は内閣官房の公文書でも「人質」ではなく「拘束」「行方不明」という表現であり、3人の「人質事件」とは意図的に書き分けがされている。  3日間だけの拘束で、解放前日に日本政府や米軍のスパイでないかどうかの尋問が行われ、その場で「明日帰す」と言われた。実際に翌日解放され、その間も後も何ら声明が出ておらず、政府にも家族にも接触がなかった。  監禁されたのは女性や子どものいる農家で、近所から大人も子どもも見物に集まり、全員が素顔をさらしていた。「武装勢力」と報じられたが、明らかに地元住民だ。その後、私自身が、拘束者と直接関係があったというアブグレイブのイスラム法学者を取材して「スパイの疑いで拘束したが、スパイでないと分かったので解放した」との証言も得ている。

日本の多くのメディアは「人質」と報じた

モスクを守るイスラム教シーア派の武装集団

モスクを守るイスラム教シーア派の武装集団=2004年4月7日、イラク中部ナジャフ

 繰り返すが「人質」とは「交渉を有利にするために、特定の人の身柄を拘束すること。また、拘束された人」のことだ。外務省や警察庁、内閣官房が公文書の中で「人質」ではなく「拘束」「行方不明」と表現を分けているのは、拘束者からの要求も交渉もなかったということを示している。  3人の件と同様、多くのメディアが「人質」と報道しているのだから、本当に「人質」ならば外務省も警察庁も内閣官房も、内部向けの文書であえて私たちの件だけ「人質」であることを隠す必要もない。つまり、公文書の中で3人の件と書き分けているのは、単なる言葉の問題ではなく、事実として「人質」ではないからだ。  何ら声明や連絡、要求もなく、拘束されているかどうかも確認できない行方不明の事例で、日本政府が拘束者を特定して交渉して救出したり、身代金を払ったりなどできるわけがない。  拘束されているかどうかすら不明なのだから、何をどうすればよいのか分かるはずもない。日本政府の対応が代理大使の言う通り「従来からのネットワークを通じて事実の確認をしていた」範囲なのは当然だ。  誰に会えば情報が手に入るかも分からないのだから、治安悪化が著しかったイラクでそのために大使館員がどこかへ出向く必要性もない。あちこち知人に電話をかけて情報収集を試みた程度であったと考えるのが妥当だろう。  本来ならば、こうした事例は即座に報道されることはない。本当に拘束されているならば、報道が拘束者をどう刺激し危険を及ぼすか分からないからだ。日本国内ならば「人名に配慮して報道を控えた」と後から断りの文を出すような事例だ。  この件もそうした冷静な扱いをされていれば、一時連絡が取れなくなっていた私たちが3日後に戻ってきた、というだけのできごとだった。この範囲のことは日本人に限らず多くの紛争地記者が経験していて、特段珍しいことでもないため報道もされていない。  当時の外務省からの発表にも「人質」の文言はなかったにもかかわらず、日本の多くのメディアはこれを「人質」と報じた。だが、日本政府や家族に密かに接触があったとか、何かしらの要求があったとか、報じられてない声明があったとか、そうした「人質」であることの根拠は、現在に至るまで何ら示されていない。  これらの拡散されたデマは、16年経過した今も消えることなく安田氏を苦しめている。日本社会にどのような影響を与えることになるのか? 次回はその点についてさらに安田氏が警鐘を鳴らす <文・写真/安田純平>
ジャーナリスト。1974年埼玉県入間市生まれ。一橋大学社会学部卒業後、信濃毎日新聞に入社。在職中に休暇をとりアフガニスタンやイラク等の取材を行う。2003年に退社、フリージャーナリストとして中東や東南アジア、東日本震災などを取材。2015年6月、シリア取材のためトルコ南部からシリア北西部のイドリブ県に入ったところで武装勢力に拘束され、40か月間シリア国内を転々としながら監禁され続け、2018年10月に解放された。著書に『シリア拘束 安田純平の40か月』(扶桑社)、『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』『自己検証・危険地報道』(ともに集英社新書)など
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シリア拘束 安田純平の40か月

2015年6月に取材のためシリアに入国し、武装勢力に40か月間拘束され2018年10月に解放されたフリージャーナリスト・安田純平。帰国後の11月2日、日本記者クラブ2時間40分にわたる会見を行い、拘束から解放までの体験を事細かに語った。その会見と質疑応答を全文収録。また、本人によるキーワード解説を加え、年表や地図、写真なども加え、さらにわかりやすく説明。巻末の独占インタビューでは、会見後に沸き起こった疑問点にも答える

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