――大島監督はテレビのお仕事と並行して映画制作も手掛けていますね。
大島:映画を作るようになったのは、やはりテレビだと思い切りバットを振りきれないという思いがあったからです。放送時間の制限はもちろん、放送局のチェックの問題もあります。
我々制作会社は下請けなので、番組制作をしても放送時には必ずプロデューサーのチェックが入ります。その人と気が合えば良いのですが、そうでないと作品を発表できない場合もあります。
ところが、映画は自分がいいと思えば出せるという良さがあります。特に、今回のような政治家一人を追うようなことはテレビではできません。映画では一つのことを深く追えるという良さがありますね。
一方で、テレビは見ている人が多いという良さもあります。ドキュメンタリー映画は1万人でヒットと言われますが、テレビは数百万人の人が見るわけですよね。なので、どちらもどちらの良さがあるとは感じていますね。
©ネツゲン
――映像の世界を志すようになったきっかけについてお聞かせください。
大島:子供の頃、伝記が好きだったんです。父に「釈迦とキリストはどっちが偉いの?」と聞いて困らせていました。人の生き方に興味があったんですね。10代は、司馬遼太郎さんの小説や、沢木耕太郎さんの人物ノンフィクションをよく読んでいました。
映像の世界に進んだのはフジテレビの深夜枠のドキュメンタリー番組「NONFIX」がカッコいいと思っていたからです。学生時代は当時はまだ無名だった是枝裕和監督や森達也監督がディレクターとして制作していた同番組を見ていましたね。それで、ドキュメンタリーを撮りたいとフジテレビに入社しました。
――ではなぜ、フジテレビを退社したのでしょうか。
大島:NHKを除くと、テレビ局のドキュメンタリーはほぼ制作会社が作っています。民放はディレクターをやり続けるということはできません。辞めたのは30手前でしたが、そのまま社員を続けてしまうと現場にいられなくなると思ったんですね。ドキュメンタリーは20代で3本作りましたが、その世代でも恵まれている方でした。
――映像の世界に進まれたのはお父様の大島渚監督の影響もあったのでしょうか。
大島:父のことは好きでしたが、同じ道に進むということは全く考えていなかったですね。ただ、映画監督として一つ一つの作品に勝負を掛けていて楽しそうだったということは記憶しています。父は映画でフィクション、自分はテレビでドキュメンタリーというのは、やはり父を意識していたのかもしれませんね。
――これからの活動についてお聞かせください。
大島:若い頃は夢中で走っていましたが、50歳を過ぎた今、カメラの暴力性について考えています。ドキュメンタリーは人が見せたくないものにまでカメラを向けて撮ります。それを作品として出すからには、その暴力性を上回る結果を出していかなくてはならない。これからは、自分の納得のいくテーマに腰を据えて取り組んでいきたいですね。
大島新監督
<取材・文/熊野雅恵>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。