ミニシアターの文化的意義を振り返る。コロナ禍で閉館が危ぶまれるなかで
「映画と街はセットになっている」
オールナイト上映も多く、今年2月にはタル・ベーラの7時間18分の大作『サタンタンゴ』(1994年)が上映された。独特のグルーヴ感のある本作の終了後、高田馬場での朝日を浴びた観客たちは何を思ったのだろうか。
早稲田松竹の特色のひとつは、映画がはじまる前にもある。「これから映画が始まります」の合図として、西洋の絵画を模したような、赤を基調とした映像が流れるのだ(説明が難しいので、これもぜひ劇場で体感していただきたい)。幾人かの友人と早稲田松竹について話した中でも、「早稲田松竹と言えばこれ」と述べた人も少なくはなかった。
現在の状況について、「自宅でできる仕事はやりますが、ほぼ待機状態ですね」と語るのは、スタッフの上田真之さん。現在は3日に1度ほど、映写機のチェックのため劇場を訪れ、またリモートの会議にも参加するが、現時点でできることは決して多くはない。
これからの課題のひとつには、公開後のプログラムをどうするかがある。新作の公開が延期になっているため、全国の劇場の再開後も、必然的に二番館に流れてくる映画には空白の時期が生まれ、その期間をどう埋め合わせるか。「同時に、新作の映画はお客さんを呼べることが多いので、興行的にそれに見合いそうな作品をセレクトできるかも課題だと思います」。ただ、上田さんの言葉に、あきらめのような感情はまったく感じられなかった。
「映画と街はセットになっている」とも上田さんは語った。たとえば、映画を見た後で近くの喫茶店で友達、または恋人どうしで語り合ったりすることで、その街の記憶と映画の記憶がわかちがたいものになる。上田さん自身、そうした経験が忘れがたいものであり、上映する側としても、いくつもの映画に「場」としての大きな思い入れがあるという。
映画の道に進む原点になった早稲田松竹
1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。
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