渋谷にはほかにも、吉祥寺などにも展開するアップリンクや、美術系の作品に強いBunkamuraル・シネマなどさまざまなミニシアターが存在するが、もちろん、都内のミニシアターは渋谷のみに限らない。少し足を伸ばした新宿には新宿武蔵野館、K’s cinemaなどが存在し、さらに足を伸ばした高田馬場には早稲田松竹――旧作を上映する名画座であるとともに、新作映画を封切り館に次いで上映する、「二番館」でもある――が立つ。基本的には2本立てで、1週間ごとにその上映作品は変わり、ある時は古典的名作を、ある時はちょっと前に劇場で見逃した気になっていたあの作品を、劇場で楽しむことができる。
オールナイト上映も多く、今年2月にはタル・ベーラの7時間18分の大作『サタンタンゴ』(1994年)が上映された。独特のグルーヴ感のある本作の終了後、高田馬場での朝日を浴びた観客たちは何を思ったのだろうか。
早稲田松竹の特色のひとつは、映画がはじまる前にもある。「これから映画が始まります」の合図として、西洋の絵画を模したような、赤を基調とした映像が流れるのだ(説明が難しいので、これもぜひ劇場で体感していただきたい)。幾人かの友人と早稲田松竹について話した中でも、「早稲田松竹と言えばこれ」と述べた人も少なくはなかった。
現在の状況について、「自宅でできる仕事はやりますが、ほぼ待機状態ですね」と語るのは、スタッフの上田真之さん。現在は3日に1度ほど、映写機のチェックのため劇場を訪れ、またリモートの会議にも参加するが、現時点でできることは決して多くはない。
これからの課題のひとつには、公開後のプログラムをどうするかがある。新作の公開が延期になっているため、全国の劇場の再開後も、必然的に二番館に流れてくる映画には空白の時期が生まれ、その期間をどう埋め合わせるか。「同時に、新作の映画はお客さんを呼べることが多いので、興行的にそれに見合いそうな作品をセレクトできるかも課題だと思います」。ただ、上田さんの言葉に、あきらめのような感情はまったく感じられなかった。
「映画と街はセットになっている」とも上田さんは語った。たとえば、映画を見た後で近くの喫茶店で友達、または恋人どうしで語り合ったりすることで、その街の記憶と映画の記憶がわかちがたいものになる。上田さん自身、そうした経験が忘れがたいものであり、上映する側としても、いくつもの映画に「場」としての大きな思い入れがあるという。
筆者がはじめて早稲田松竹を訪れたのは、高校生であった2007年の10月だった。当時上映されていたのは「伝説の監督 長谷川和彦特集」と題された、『青春の殺人者』(1976年)『太陽を盗んだ男』(1979年)の2本立て。何が伝説かといえば、現在に至るまで長谷川監督の作品はこの2本しかなく、かつ、2本とも日本映画史を代表する傑作と目されているからだ。
そして、この2本に筆者は魅了され、大学では映画を学びたいと思った。そののち、早稲田松竹から徒歩圏内にある早稲田大学に進学し、映画学科に進む。今から考えれば、映画に関連した道に進んだ原点は、早稲田松竹にあったのかもしれない。そして大学に入学後、映画を見ると同時に、映画を上映するミニシアターの領域もまた広げていき、ジブリの世界とも調和する外観が特徴的なラピュタ阿佐ヶ谷、ドキュメンタリー作品に強いポレポレ東中野――、いや、名前を挙げきれないほどの思い出深い映画館たちに出会ってきた。
もちろん、ここまで書いたようなことは、あくまで個人的なことがらに過ぎない。ただ、「個人的なことがら」をこうしてわざわざ書くのは、前述のように映画――または、演劇や美術、さらには生活のさまざまな場面にも通底するが――を味わうためにはその「場」こそが大きな要となり、その「場」の記憶と作品の記憶は、分かちがたいものとして脳裏に刻まれるからだ。
NetFlixやAmazonプライムでは味わえない、映画館ならでのあの魅惑を、まだまだ多くの人に味わってほしいし、筆者自身も味わいたい。そのためにミニシアターの存続を願う。いや、自分にできることを見つけ、動いていくつもりである。
<取材・文/若林良>
1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。