松本:このコロナ禍の中、吉村知事と同じぐらいテレビに、特によみうりテレビをはじめとする在阪局やネット番組に出まくっているのが、維新内部で「社長」と呼ばれている
橋下徹さんです。彼の影響力や狙いはどういうとこにあるのでしょうか?
吉富:
橋下さんに影響力を与えようとするメディアなり、メディアの背後にあるものの意図があるような気がしています。聞いている情報に個人的な推測を交えると、おそらく「
ポスト安倍」を考えている。このコロナ禍において安倍さんはアベノマスクや給付金のことなどで評価を下げている、内閣の中でもひび割れがあるのじゃないかと。そうすると目端が利く政治家・官僚ならポスト安倍を考える。そこに今回支持率を上げてきた維新がある。このまま支持を維持できるなら次の衆議院選挙で大量に維新の議員が誕生する。そうすると次は
連立の話が出る。そこに
橋下・吉村人気を利用しないわけがない。テレビに出し続けて人気を維持する。
松本:橋下さんはいちおう「私人」ということになってますが、国政で復帰もある、と。
吉富:彼の性格上、雑巾がけの政治家を一からやることはないけど、閣僚ならわからない。影響力のあるポジションに立ちたいだろうから、
閣僚登用なら受けるかもしれない。
松本:民間登用ですね。「
橋下総務大臣説」というのも、かつてありました。
吉富:吉村知事も大阪市長になる前は衆議院議員で、国政志向が強いですからね。
松本:吉村さんの言動は、橋下さんによく似ている。小さい橋下さんみたいですよね。
吉富:それは多分に意識していると思う。
松本:吉富さんは、橋下チルドレンとして市議に初当選した直後に吉村さんを取材したそうですが、その後の変化をどう見てます?
吉富:(大阪市議、衆院議員をいずれも任期途中で辞任して)市長をやっていた時代の大阪市職員に聞くと、「ずいぶん変わった」という人が多い。簡単に言うと「傲慢だ」と。まだ橋下さんの方が物分かりがよく、話を聞いてくれたというんですね。市長としてなら、今の松井さんの方が庁内の人気はある。吉村さんはプチ橋下みたいな物言いもあるのだろうけど、「絶対に謝らない」「素直じゃない」と評判良くない。知事になってからの評判は聞けてないけどね。
松本:維新の政治手法というのは、
敵と味方を分断して、既得権益者や反対者を強く攻撃するというものですが、かつて橋下さんは「僕が分断を作り出しているんじゃない。分断はすでにある。それをエリート層がポリコレ的なきれいごとで抑え込むのは無理だ」と語っていました。分断され、不満を溜め込んでいる側に立つという姿勢で、トランプ大統領にそっくりです。橋下さんの方が早かったですけど。
コロナ禍で全体主義的なムードが高まる中、こうした政治手法はとても危険だと思います。今、
吉村知事の好感度が上がっているからといって、無条件にテレビに出し、好き放題にしゃべらせるというのは大いに問題があると思いますね。
吉富:橋下さんが言っていることはある意味、一理ある。彼の敵と味方という仮想敵を作って叩くやり方に拍手喝采をする人がいて、それなりの理由もある。
権力が名指しする「敵」を叩くことに同調し、留飲を下げる空気が、われわれ国民の側にもある。むしろその空気が怖いと思う。
われわれがそういう因子を持っているということを自覚しながらメディアが警鐘を鳴らすことも必要だと思う。こういう状態が続けば、生贄を求めるような空気が生まれて、橋下さんや吉村知事じゃなくても将来もっと過激な人物が現れた時に、もっと酷いことになる可能性があると思う。だからこそ
今のうちに安易に政治家を持ち上げて「総理大臣に」みたいな風潮には異を唱えておかないと。
松本:
世の中が一方向に流れようとする時に、「ちょっと待て」と引き戻すとか冷や水をかける役割が、本来マスメディアにはあると思います。ただ現状、橋下さんや吉村知事がこれだけテレビに出ているのは、数字が稼げる「おいしいコンテンツ」だから。と同時に、メディアの中の人たちも彼らを好きなんですよね。かつて橋下さんに密着していた記者たちには、「大阪から政治や社会を変えるんだ」という興奮と同志的連帯みたいなものがあったといいます。それがまた繰り返されている。だから、吉村知事や維新に懐疑的な報道はほぼ出てこない。
冷静に突き放して見て、検証する視点がないんです。
吉富:
テレビの制作側は無自覚ですよ。政治的なことをわかっていない人も多いし、橋下さんは現場の受けもいいから起用してしまう。ただそれを政治的に利用しようとする人たちもいるから無自覚では困るんです。視聴者の側も、無自覚に垂れ流されるものに対して賢くなくてはいけない。
松本:特定の政治家や政党の人間がメディアに出続けるというのは、それだけで潜在的なメッセージになる。今のままでは、以前書いた「#だれはし」現象の再来です。
少なくとも「報道」を担っている自覚を持つ人たちには、踏ん張ってほしいですね。