――かつて特別支援学校の先生を志望した理由と、先生をしながら映画監督になろうと思った理由についてお聞かせください。
内藤:最初は漫画家を目指していましたが、親戚に教員が多くいた影響もあり、教育系の大学に進学していました。その頃ずっと描いた漫画を雑誌に投稿していましたが芽が出なかったんです。そこで、大学院に進学し、たまたま人手不足で募集のあった特別支援学校の非常勤講師になったのですが、それが楽しかったんですね。
でも、表現に対する欲求はあったので、教員をやりながら映画を撮ろうと決めました。その時に教員採用試験を受けて映画美学校にも通い始めたので教員生活と映画製作は最初から同時並行しています。免許は小中高の美術でしたので、基本的には美術担当でしたが、生活単元学習(食事・身なり等生活に必要なことを教える科目)や、封入、事務、清掃などを教える作業班も担当し、国語、数学も教えていました。
――特別支援学校の教員時代で印象に残っていることはありますか?
内藤:子どもたちに掛ける声は障害の特性によって変えなければいけないんです。例えば、同じ自閉症でも生徒さんの症状によって個別に対応を変えなくてはいけません。
僕にとっては、子どもに寄り添った声掛けをすることが楽しかったんです。彼らはそれぞれ世界の認知の仕方が異なりますが、そのことで気が付かされる部分が多かったんですね。
例えば、運動会の時に教室にいて外に出たがらない生徒がいたのですが、床に寝転がっている子を立たせようとしたら「この悪魔め」と言われました。そのフレーズにびっくりしましたが、暑い中を外に連れ出そうとする僕が、彼にとっては悪魔に見えるんだなと思いました。
その言葉で「そもそもこんな暑い時に外に出なくても良いのでは」と思いを改めた部分もありましたし、自分の凝り固まった考えを客観的に見ることができたのは新鮮な経験でした。
――今回の作品のように映画を通して社会問題を伝えることにはどのような意義があると感じているかお聞かせください。
内藤:例えば事件が起きた時に、SNS では多くの人が自分の意見を発信しますが、多面的に物事を捉えることは難しいと感じています。ニュースから受け取った一面的な印象だけで感想が発信されていることも多いのですが、それでは問題の解決にはつながりません。
フィクションで事件を描くのであれば事件の当事者の視点にそのまま入って行けます。加害者であれば加害者の視点、被害者であれば被害者の視点で物事を描くことができて、そこから見る景色によって気付かされることがあるんです。
©2020「許された子どもたち」製作委員会(PG12)
映画は限られた2時間の中で他人の視点に立って物事を体感できるメディアで、問題をより立体的に見ることができるのではないかと思っています。
――これから取り組みたいテーマについてお聞かせください。
内藤:今後は「母子」というテーマを付き進めて男性優位主義を描きたいと思っています。昨今、#metoo のムーヴメントなど、男性優位主義的な社会を告発する動きがありましたが、自分自身もその価値観にとらわれていることに気が付かされます。「その発言は女性差別的である」と指摘されて初めてハッとすることがあるんですね。次回作はその問題について男性の側から取り組みたいと考えています。
<取材・文/熊野雅恵>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。