生死のリアリティが希薄になった子どもたち。〜『許された子どもたち』内藤瑛亮監督に訊く <映画を通して「社会」を切り取る18>

 「あなたの子どもが人を殺したらどうしますか?」この問いに真摯に向き合った映画『許された子どもたち』が6月1日から渋谷のユーロスペースにて公開となります。  とある地方都市。中学一年生で不良少年グループのリーダー市川絆星(いちかわ・きら)は、同級生の倉持樹(くらもち・いつき)を日常的にいじめていた。いじめはエスカレートしていき、絆星は樹を殺してしまう。  警察に犯行を自供した絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の真理の説得によって否認に転じ、その結果、少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定。絆星は自由を得るも、決定に対し世間から激しいバッシングが巻き起こる。住所を特定され、SNSによって罵詈雑言を浴びせられる絆星の家族。そんな中、樹の家族は民事訴訟により、絆星ら不良少年グループの罪を問うことを決意する。  罪を犯したにも関わらず許されてしまった子どもたちは、その罪をどう受け止め、生きていくのか。大人は罪を許された子どもと、どう向き合うのか――。  教育系の大学、大学院を卒業後、特別支援学校の教員を経て、実在の事件をベースにした『先生を流産させる会』で長編デビュー。構想から8年、少年事件における捜査や審判の過程、周囲の大人により真実が歪められてしまう様子や報道やSNSなどによる加害者家族へのバッシングなどを圧倒的なリアリティーで描いた『許された子どもたち』を製作した内藤瑛亮監督にお話を聞きました。

問題から逃げる父親

――この映画に登場する父親のように、子どもに問題が起きると父親は逃げようとする傾向があるように思います。一方、母親は何としてでも子どもを守ろうと覚悟を決めていることが多いのではないでしょうか。内藤監督の教員時代を振り返って、現代の日本社会における父親についてどのようにお感じになっていますか? 内藤:教員をやっていた時に、子どもに対する父親と母親の温度差を感じました。特別支援学校の教員だったので、お子さんに対するケアの大変さも目の当たりにしましたが、父親は全く関わることなく、離婚して母親に押し付けているというケースもありました。  特に日本では、教育なりしつけは母親がやるもので、家計を支えている父親はそれ以上のことはしなくていいと父親自身が思い込んでいるのではないでしょうか。それによって母親が追い詰められている側面もあると思います。
©2020「許された子どもたち」製作委員会(PG12)

©2020「許された子どもたち」製作委員会(PG12)

 この映画での絆星の母親の行動も決して正しいとは言い切れませんが、そういう行動を取らざる得ない状況に追い込まれてしまう。追い詰められてしまう母親だけに責任を押し付ける日本社会の風潮が、より彼女を追い込むのではないかと感じています。そこまで母親を追い詰めるものは何か、その点については考えなくてはいけないと感じています。  実際に「母親がもっとしっかりしていれば、被害者の少年がいじめを受けなかったのではないか」というバッシングが起きた事件もありました。やはり母親に全て押し付けようとする風潮が、余計に事態を悪くしているのではないでしょうか。 ――確かに、子どもに対する教育の責任は父親より母親に多く課されているという風潮はありますね。一方で「食べさせてやっているんだから、これ以上することはない」というスタンスの父親も存在するように感じます。 内藤:オーディションの時に「あなたの子どもが人を殺したらどうしますか?」と聞いたところ、男性は比較的「わからない」と答える人が多かったのですが、女性は「自分の子どもが人を殺したという事実と向き合って子どもと一緒に生きていく」と答えた人が多かったんですね。  母親よりも父親の方が、子どもの実態よりも社会的な評価が気になっている人が多いように感じます。「自分が経済的に家族を支えているから、子どもも家計を支えられる男に育てなければ」「社会的にある程度の地位まで行かなければお金を稼げない」というように思うのかもしれません。 ――子育てにおける父親の役割はどのようなものだとお考えになっていますか? 内藤:家父長制の発想は昔ほど強くないと感じますが、自分も含めて男性優位的な発想から逃れられないのかもしれません。  男性自身がそこから完全に自由になることはできないのかもしれませんが、男根主義的な部分を意識して、そこから自由になって、子どもを社会的な評価とは関係なく、本質的な成長を目的として子どもをリードすればいいのではないでしょうか。 ――母親と息子の密着した関係も描かれています。 内藤:これも教員時代に感じたことですが、反抗期がなく、お母さんと子どもの関係が強固になってしまうケースが多いです。そうなることで自立できずに親との絆が閉じた形になってしまう。この映画の母子は密着した関係にあることで、少年が人として自立して罪と向き合うことができなくなってしまっています。  絆があることは良いことなのですが、本来は開かれているべきです。現実にも親子関係が閉じている人はたくさんいるのではないかと思って、あのような関係を描きました。

死や性に踏み込まない日本の教育

――長編デビュー作『先生を流産させる会』も大きな理由なく胎児を殺そうとする少女たちの様子が描かれていました。インターネットが普及した現在、残忍なものを含めた死や性に関する映像を目にする機会が増える一方、人の痛みをリアルに経験する機会は減り、少年犯罪は加速するのではないかという懸念は拭えません。 内藤:子どもたちの生死に対するリアリティーが薄いと感じます。核家族化が進み、祖父母と一緒に住んでいる家庭が今は少ないので「人が老いて死ぬ」ということを経験する機会が少ないのではないのでしょうか。  死や性、暴力に関することもインターネットで検索すればすぐに見ることができてしまいますが、教育の現場では死や性に関することは積極的には触れないという姿勢が見られます。子どもが結果的に見てしまうのであれば、死や性について教育はもっと踏み込んだ対応をすべきなのではと思います。 ――映画の終盤、少年が自分の罪と向き合いますが、そのきっかけを作ったのが親でも司法関係者でも教師でもない存在だったというのが非常に秀逸であると思いました。 内藤:親や学校が子どもを守ろうとする時に、事実から目をそらそうとするのではないかと感じたんですね。それによって自供をしていたのに、否認に転じて贖罪からは離れてしまう。そこでいじめを受けていた同級生の女の子と出会わせようと思ったんです。
©2020「許された子どもたち」製作委員会(PG12)

©2020「許された子どもたち」製作委員会(PG12)

 絆星は、事件前はいじめられていましたが、被害者から加害者に転じて人を殺してしまいます。でも、SNSによる過剰なバッシングを浴びせられることで、また被害者になってしまう。そこで自分と同じような境遇にいる彼女と出会うことで、自分自身を客観的に見つめ、そして罪と向き合うようにしたかったんです。
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ワークショップで自らの加虐性を認識
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