教育こそ少年たちにとっての大きな罰。『許された子どもたち』内藤瑛亮監督 <映画を通して「社会」を切り取る17>
「あなたの子どもが人を殺したらどうしますか?」この問いに真摯に向き合った映画『許された子どもたち』が6月1日から渋谷のユーロスペースにて公開予定となっています。
とある地方都市。中学一年生で不良少年グループのリーダー市川絆星(いちかわ・きら)は、同級生の倉持樹(くらもち・いつき)を日常的にいじめていた。いじめはエスカレートしていき、絆星は樹を殺してしまう。
警察に犯行を自供した絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の真理の説得によって否認に転じ、その結果、少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定。絆星は自由を得るも、決定に対し世間から激しいバッシングが巻き起こる。住所を特定され、SNSによって罵詈雑言を浴びせられる絆星の家族。そんな中、樹の家族は民事訴訟により、絆星ら不良少年グループの罪を問うことを決意する。
罪を犯したにも関わらず許されてしまった子どもたちは、その罪をどう受け止め、生きていくのか。大人は罪を許された子どもと、どう向き合うのか――。
教育系の大学、大学院を卒業後、特別支援学校の教員を経て、実在の事件をベースにした『先生を流産させる会』で長編デビュー。その後、夏帆主演『パズル』、山田杏奈主演『ミスミソウ』などを監督、構想から8年を掛けて『許された子どもたち』を製作した内藤瑛亮監督にお話を聞きました。
――本作は中学1年生がマットで逆さ吊りになり窒息死した山形マット死事件(1993年)、中学2年生が飛び降り自殺した大津市中2いじめ自殺事件(2011年)等実在のいじめ事件がベースになっていますね。捜査過程における自白の引き出し方も含めて周囲の大人により真実が歪められてしまう様子や加害者の家族の問題、報道やSNSなどのあり方等、少年事件におけるあらゆる論点が入っていると感じました。2011年の山形マット死事件から着想を得てプロットを書いたとのことでしたが、そのきっかけについてお聞かせください。
内藤:山形マット死事件が起きたのは、小学校4年生の時でしたが自分と同じぐらいの年齢の子が人を殺したという意味でショックの大きい事件でした。法的に許されてしまうし、彼らも罪をなかったことにしている。それがとても怖く感じました。
その後も気になって情報を追いかけていましたが、ある時、被害者側が民事訴訟を起こして認められた損害賠償金について、支払いに応じていないことがわかったんですね。
その頃は「先生を流産させる会」の公開を控えており、次の作品をどうしようかなと思った時に、ずっと気になっていた事件を題材にできるのでは、と思ってプロットを書き始めました。
―― 捜査過程における自白の偏重や弁護団による勝訴のみを目的とした弁護によって真実が歪められていく様子が描かれていましたが、警察官や弁護士、少年審判の関係者に取材はしたのでしょうか。
内藤:もちろん、取材しました。少年保護のため、細かいディテ―ルは聞き取れせんでしたが、家庭裁判所にもヒアリングしています。
家庭裁判所に送致された後、両親と久しぶりに会うシーンで絆星がコーラをゴクゴク飲むのですが、少年鑑別所にいた人の話を反映させています。子どもなので久しぶりに両親に会えることの嬉しさが一番に来るはずなのですが、少年鑑別所で食べるご飯が味気ないので、久しぶりに糖分を取れることの嬉しさが上回って一気飲みしてしまったとのことでした。
――取材する中で他に印象に残っているエピソードはありますか?
内藤:少年審判の判廷が実際に行われる場所は、各自治体に作られたものですが、元々の部屋が狭いんです。被害者の同席は判廷が作られた後に始まったので、その点が配慮された設計にはなっていません。なので、被害者と加害者の距離がどうしても近くなってしまうんですね。
審判に立ち会いたいのだけれども、近くに行くことをストレスに感じる人もいます。また、予期せずに加害者の近くで審判を聞くことになって後悔した人もいると聞きました。
その話を聞いて、今回の映画では意識的に部屋が狭いことを強調して撮影しました。審判のシーンは、国会図書館で少年審判の模擬シナリオを読みながら書いたものです。
――警察官が少年に「自白したらラクになる」と迫ったのは非常にリアルだと思いました。
内藤:少年に対する取り調べについては、今では警察庁の通達によって保護者が立ち会うことになっているのではという声もありましたが、一般的に成人の場合でも、冤罪が起こる場合には、高圧的に自白を引き出すことが事実としてあるので、あのシーンを入れました。
1988年の綾瀬母子殺人事件でも、2001年の御殿場事件でも少年が自白を強要されて冤罪になった事件があります。この作品で、実際に絆星は罪を犯していますが、だからといって「自白したらラクになる」というような取り調べが許されるわけではないと思います。
少年に厳罰を与えるべきとする人たちの中には、取り調べは多少手荒いことしてもいいと思っている人もいます。でも、証言を引き出した過程が違法だったので、審判の段階で証言自体が採用されず、かえって刑罰を科すこととは遠くなることもあり得ますし、自白を偏重することによって物証がないがしろにされることもあり得ます。
実際に、山形マット死事件は、違法捜査や物証が少ないことに問題があったとされています。事実がきちんと認定されないと、少年も法と向き合うということができないのではないでしょうか。少年審判の事実認定の甘さはこの映画で問題として取り上げたかったことですね。
実在した事件をベースに
少年審判の現場とは
この連載の前回記事
2020.03.26
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