私鉄と地下鉄の相互直通運転はいかにして実現したのか? 日比谷線の誕生と私鉄の都心延伸計画<東京地下鉄100年史>
都市交通審議会による地下鉄整備計画
この計画では、1号線から5号線までの5路線が策定されたが、この番号は計画された順番を示すものではない。戦前に開業した銀座線が3号線、池袋~東京間で営業を開始し、東京~新宿間で建設が進められていた丸ノ内線が4号線となっているのは、都心から放射状に伸びる各路線に対し、南から順番に番号を振ったためである。
丸ノ内線に続いて建設されることになったのが、東京都による初めての地下鉄、都営1号線(現在の浅草線)と、営団地下鉄(現在の東京メトロ)による営団2号線「日比谷線」であった。
そして、これらの路線は私鉄の都心直通構想を受け入れる形で、私鉄と地下鉄の相互直通運転を実施することとした。浅草線は京成と京急の直通運転構想を引き継いで、また日比谷線は東武と東急の都心乗り入れ構想を合体させて形作られた路線だ(一方、小田急の都心乗り入れ実現は千代田線の建設を待たねばならなかった)。
最新の安全設備を導入した日比谷線の全通
鉄道ライター・都市交通史研究家。1982年、埼玉県生まれ。大手鉄道会社で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当した後、2017年に退職。鉄道記事の執筆と都市交通史の研究を中心に活動中。
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