鈴木氏が時任氏とTwitter上でこうしたやり取りをしてもなお、
『現代ビジネス』は前出の追記をしただけで、一切対応しなかった。そのためHBO編集部と鈴木氏は連名で、『現代ビジネス』に対する通告書を内容証明郵便で送付した。12月9日のことだ。
通告書は『現代ビジネス』と時任氏について「貴サイトにおいて時任氏が鈴木の記事を盗用し、鈴木及びハーバー・ビジネス・オンラインの著作権を侵害したことは明らか」とし、またTwitter上での時任氏の説明を「虚偽である」と指摘。その上で以下の5点を要求した(通告書の文面ママ)。
(1) 当該記事にある盗用箇所の文章の削除もしくは訂正
(2) 盗用の事実の説明と謝罪を当該記事に追記すること
(3) 盗用が発生した経緯の調査
(4) 調査結果と再発防止策の公表
(5) 調査結果及び再発防止策を掲載したページへのリンクの当該記事に追記すること
金銭は要求せず、期限については上の(1)(2)は「本書面到着後即刻」、(3)(4)(5)については「速やかに、その見通しについてのお返事をお待ちします」とした。
12月19日、『現代ビジネス』の代泰征編集長名でHBO編集部宛に「回答書」が届いた。
〈
今回の件が著作権侵害に当たるという貴社御主張に対しては、貴社記事と弊社記事とでは、表現として創作性が認められるような点で共通しているものではなく、著作権侵害には当たり得ないと考えております。
しかし、法的に観点を離れてみた場合、時任氏は弊社記事を執筆するに際し、貴社記事を参考にしていましたが、弊サイトに記事を掲載するに当たっては貴社記事を参考にした箇所や出典を明記しておりませんでした。編集部においても、書簡で指摘されている3つの箇所が貴社記事を参考にして記述されたものであることを知らず、確認も徹底できておりませんでした。その結果、出典の明記など、他者の記事を参考にさせていただいた場合にとるべき配慮を書いていたことは否めません。
これにより、貴編集部ならびに鈴木氏に不快の念を抱かせたことについては編集部として率直にお詫び申し上げます。
今回貴社より通知書をいただいたことを重く見て、該当記事に関してはすでに訂正の措置をとっております。また、今後同様のことが再発しないよう、時任氏に対して改めて注意点を申し伝えるとともに、編集部におきましても一層の注意を払ってまいります。〉
12月18日、
『現代ビジネス』編集部は記事中の問題部分を訂正。3カ所のうち、1カ所を鈴木氏の文章と一致しない形に変え、1カ所を全削除。3カ所目は、カッコで囲む形で改めて堂々と元記事をコピペし、出典を示して「引用」の体をとった。
また記事の末尾にこんな一文が加わった。
〈
*編集部注:2019年12月10日、「ハーバービジネスオンライン」編集部より通知を受けたため、同12月18日、一部の記述を変更し、それに伴って引用箇所には引用元を明記しました。〉
現代ビジネス編集長の「回答書」は、『現代ビジネス』と時任氏の行為を「引用」だとは主張していない。「違法性はない」との主張の根拠は、創作性がない文章だからだという。
にもかかわらず、公開されている記事上ではさも「引用なのにHBO編集部から通知が来たので記述を変更し引用元を明記した」かのような印象を与える説明が追記された。訂正後の記事を見た人には、HBO編集部が「引用にいちいちクレームをつけるクレーマー」であるかのように見えかねない。
著作権をめぐっては、たとえば新聞の訃報欄のような単純な事実の羅列だけの文章に創作性はないとする議論がある。しかし今回、『現代ビジネス』と時任氏が「参考にした」と主張する鈴木氏の記事は、創作性が介在しない機械的な事実の羅列ではない。
問題部分の1カ所目、
「令和の会」のくだりは前述の通り。鈴木氏の情報源は新聞報道や菅原氏のブログと思われるが、捉え方や文言が鈴木氏の文章と一致する新聞報道は1本も存在しない。鈴木氏が独自のニュアンスを加えて報じた表現だ。
2カ所目にある「勝共UNITE」。彼らは勝共連合の青年遊説隊という説明しか公表していないが、
鈴木氏は自らの足でUNITEの街頭演説に参加している若者の多くが統一教会の2世信者であることを確認するなどしていた。その上で「教団2世組織」という独自の表現を用いている。“教団2世組織”と引用符で挾んでGoogle検索をしてみれば一目瞭然だ。検索結果の大半が鈴木氏の記事だ。
3カ所目の〈演説会に勝共UNITEの主要メンバーや都内の教団地区で政治家対策を行っていた渉外担当者を招待するなど〉(鈴木氏)という一文も同様だ。
UNITEの主要メンバーや教団渉外担当者の存在は鈴木氏自身が演説会会場で確認した。この取材には私も同行している。こうした具体的事実と、菅原氏と統一教会の関係の深さを示すニュアンスとを同時に表現した、鈴木氏オリジナルの文章だ。
仮にこれらに創作性がないというなら、報道において著作権などないに等しい。