団塊世代の夢破れしあと。学生運動や広がる格差が音楽にも影響<戦うアルバム40選 パンクス台頭の’70年代編>

ジャケットで大麻を大写しに

 『Catch A Fire』Bob Marley & The Wailers(1973) 『Catch A Fire』Bob Marley & The Wailers(1973)  アメリカにおけるソウル・ミュージックを通じた黒人の社会的メッセージの波は海を越え、別の世界で形を変えて発展した。その際たる例がジャマイカのレゲエ。その最大のヒーローは言うまでもなくボブ・マーリーだ。  国際的デビュー・アルバムとなった本作は、ジャケットでいきなりマーリー自身が大写しでマリファナをキめ、これだけでもかなり挑発的な内容を予想させるが、「コンクリート・ジャングル」を皮切りに、歌われる曲の数々は、ジャマイカの黒人の過酷な現実と、400年にもおける黒人の被支配からの解放を叫んだもの。ここから、1981年に36歳の若さでこの世を去るまで、マーリーは一貫して愛と救済(レデンプション)を求めて戦い続けることになる。  『Zombie』Fela Kuti(1976) 『Zombie』Fela Kuti(1976)  「ブラック・パワー」の波は、アメリカの黒人たちにとっての先祖の地でもあるアフリカにも伝播した。その代表的な存在がナイジェリアの「アフロビートの大家」となったフェラ・クティだ。  彼は「黒人の解放」のみならず「(イスラム教やキリスト教などの)宗教からの離脱」を訴え、家族や仲間たちと「カラクタ共和国」というコミューンを結成。そこで政府との対立が激化したが、このとき政府の言いなりにただ動いている軍人たちを「魂の抜けたゾンビ」と皮肉り、10分を超える大曲「ゾンビ」として表現した。  政府からはこの作品のために報復としてクティは暴行を受け、彼の母親は暗殺。コミューンも閉鎖された。だが、この犠牲と引き換えにクティはアフリカを代表する最も重要なアーティストへと成長していくことに。

人種を超えたバンドも誕生

 『Never Mind The Bollocks, Here’s The Sex Pistols』Sex Pistols(1977) 『Never Mind The Bollocks, Here’s The Sex Pistols』Sex Pistols(1977)  音楽による反抗の担い手をヒッピーからパンクスへと変えた分岐点にして、「戦うアルバム」の永遠の金字塔。本来はパンク・ファッションを売り出すために集められた少年たちが、いざ集めてみたらコントロール不能のモンスターだったことから生まれた奇跡。  これから巻き起す騒動の宣言(「アナーキー・イン・ザ・U.K.」)に始まり、タブーだった女王陛下への誹謗中傷(「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」)といったロックによるゲリラ戦略から、東西冷戦の中で閉塞したベルリン(「さらばベルリンの陽」)や中絶問題(「ボディーズ」)といった、この当時の社会が抱えていた問題にメスを入れ、さらには契約レコード会社との喧嘩と恨み節(「拝啓EMI殿」)まで。ジョニー・ロットンほどの不遜さと大胆さ、ユーモア・センスを兼ね合わせたフロントマンは以後出ていない。  『The Specials』The Specials(1979) 『The Specials』The Specials(1979)  ボブ・マーリーに代表されるレゲエは70sを代表するレベル・ミュージックだが、そのレゲエの音楽的直系ルーツとなったスカもまた同様。その、イギリスでの”スカ・リヴァイバル・ブーム”の主役となったスペシャルズも立派な時代の闘士だった。  「白人と黒人の融和の象徴」として白と黒の2トーン・カラーをトレードマークにした人種混合編成の彼らは、パンクの波が去った後のイギリスのストリート・キッズたちのリアリティに即したメッセージで彼らを鼓舞。それは「ちゃんと大人になれよ」と不良少年たちの人生を正すものから、「モッズもロッカーズもスキンヘッズのヒッピーも死ぬまで戦え」と、反抗する若者たちが立場を超え尊重しあって共に体制と戦うことを歌うものまで。彼らはここから成長。そのメッセージはより痛烈に、かつ国際的視野と共に広がっていく。
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パンクの波がアメリカではハードコアに
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