海洋放出反対派も賛成派も知っておきたい「トリチウム」の基礎知識

乱れ飛ぶデマゴギーと言葉狩り

 ちょうど1年前ですが、「トリチウム水」の海洋放出について疑念を呈した東京新聞社説*について、「「トリチウムは自然界で有機化するのだから、流してはいけない」となるはずだった。」という同紙記者のTwitterでの補足コメントへ次のような激しい誹謗中傷(内容を崩さない程度に言葉を一部直しています)が雲霞の如くなされたことは記憶に新しいです。 <*トリチウム水 本当に安心安全なのか 2018/09/20東京新聞(リンク切れ)> 「トリチウムの有機化ってなんですか。」 「「有機トリチウム」というネタ? が流れてきた。東京新聞の◎◎記者は水俣病における「水銀の有機化」が具体的にどういうことだったのかを理解していない、トリチウムがどういうものなのか具体的に理解していないと考えてよさそう。すべて「記号」で考えているのみ。」 「トリチウムの有機化などと、意味不明か、ただのトンチキ。」 「自然界で有機化するトリチウム?そんなもん存在したら世界中の化学学者が発狂するわ。ば〜〜〜〜〜っかじゃねえの!?(マンガ付き)」 「トリチウム(三重水素)が有機化するそうです。危険です!カエルの幼虫が巨大化するくらい危険です!」 「有機化したトリチウム??????????wwww「新聞屋」の化学知識レベルを、晒してくれている。流石、東京新聞はイソコが官邸記者会見出るだけあってレベルが高いわ(皮肉のつもり」 「東京新聞の記者がトリチウムは自然界で有機化するとか言い出してしまい、なんというか、どう言葉を選んでも頭大丈夫ですかとしか言いようがない。」  この誹謗中傷を行った人々の中に複数の大学の現役理工学系教員・研究者がいることが嘆かわしいのですが、この人々が福島核災害後、常に核災害の著しい過小評価を繰り返し、放射線影響について心配であると表明した市民へのネットリンチを直接・間接に起こしてきた人たちと一部重なることは、きわめて深刻です。  私は、被曝・放射能問題を論じる際に、東日本の市民には、「放射線」「放射能」について「ホ」や「あれ」という隠語を使う人が多いことに驚かされ、強い不快感を覚えてきました。そういった人々はこのようなネットリンチを行ってきた「科学ヲタク」=「カガク狂徒」からの加害を恐れてとのことでした。まるで中世の教会権威か、戦前戦時中の特高警察の猛威です。 「有機結合型トリチウム」(OBT)は、トリチウムの環境中、体内での挙動を論じる際には必ず出てくる用語であって、高校卒業程度の力があれば、だれでも3分もあればネット検索でレファレンスにたどり着けることです。 「トリチウムは自然界で有機化する」という記者の発言は、用語そのものは、やや化学的厳密さから外れますが、やはり大学共通教育程度の理解力と読解力があれば少し考えることで「水素の置換による有機物のOBT化」であると分かりますし、許容範囲です。  現役、シニアの化学屋ならば、「トリチウムは自然界で有機化する」と聞けば、一瞬「あれ、どういうことかな?」といぶかしげな表情を見せた上で「あ、水素置換反応での有機物のトリチウム化合物化だな。例えば光合成だね。」とすぐに気がつきます。  科学はその根幹が懐疑主義と実証主義です。粗末な時代遅れの知識や思い込みにしがみついた教条主義や権威主義とは対極にあります。ましてや、言葉遊びや言葉狩りは科学を殺す行為です。  さきに紹介した、権威主義に裏付けされた無知と傲慢による発言に対しては、即座に生物学、化学、物理学系の研究者・教育者から誤りが多数指摘されましたが、いまだに同じ事を繰り返している人物も見られます。  筆者はこれらの人々の言動に対し「カルト宗教カガク教」、「エセニセ科学批判」と批判しています。  このような科学と市民を愚弄し冒涜する行為は、本人達の精神的快楽にはなりましょうが、民主的合意形成と事態解決を著しく阻害します。そして科学を致命的に歪める翼賛政治運動でもあります。このような個人の享楽は、学生会館=学内雀荘の片隅で内輪だけでやっていてもらいたいです。

前回の引用資料について

 前回の記事公開数時間後、HBOLにも寄稿されている黒川眞一先生から連絡があり、引用資料中に誤りがあるとのご指摘がありました。  その資料とは、2019年8月30、31日に開催された経済産業省多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会の説明・公聴会資料で、記事中で引用した表は以下の表です。
構内ALPS処理水の現状

出典 経済産業省多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会
多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会 説明・公聴会資料pp.5 構内のALPS処理水の現状(平成30年3月時点)
開催日2019/08/30,31於富岡町、郡山市、東京都千代田区

 この表の中で、トリチウム濃度、トリチウム量を質量および質量濃度で表示していますが、この数字は桁取りを誤っているか説明不足のどちらかです。  トリチウムとして計算した場合、タンク内のトリチウム質量は約3gが正しく、ALPS処理水のトリチウム濃度は約3ng/L(0.003μg/L)が正しいです。  一方で、質量表示されている物質をHTOとすると、それぞれ約20gと約0.02μg/Lとなります。従って、表の数字を正しいとするには、「タンク内の“トリチウム水量”」と「ALPS処理水の“トリチウム水濃度”」とせねばなりません。  本来、放射能量はBqまたはCi(キュリー:1Ciは37GBqに相当する。古いcgs単位系の単位で、現在では使われていないが、合衆国では現役)で表示するもので、著者は質量(g)表示を完全に無視していました。結果として引用資料のおかしな点に気がつきませんでした(記事内ではその旨図版のキャプションの追記)。  引用元のこの誤りは、トリチウムの放射能量とトリチウム水の質量の換算表をそのまま引き写してその数字に中身を理解していなかったためと思われます。たいへんに粗雑な仕事ですが、これが本邦原子力PAの姿です。  拙稿中では、放射能量についてはBqのみで論じ、質量は完全に無視していますので、この資料のおかしな点は全く影響ありません。ご安心ください。  黒川先生とは、昨日、二人で資料の謎解きをして余りの情けなさに呆れかえり、私は腹を抱えて笑っておりました。 『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』「トリチウム水海洋放出問題」再び編2 <文/牧田寛>
Twitter ID:@BB45_Colorado まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題について、そして2020年4月からは新型コロナウィルス・パンデミックについてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中
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