伊方発電所を回った夜、八幡浜で蓮池氏と語り合った「選挙」、「原発」、「拉致問題」……

八幡浜にて語り合ったこと

 やっと、一行を乗せた「へこみデミオ」は八幡浜に帰り着きました。時間はほぼ20時前、合流してから6時間です。私は、おなかがすいて目が回りそうです八幡浜市役所近くの駐車場に「へこみデミオ」を置いて、近くの海里という居酒屋に入りました。私は晩酌をしませんし、外食も殆どしませんので、居酒屋の類いは引っ越して以来初めてです。  まずはビールで乾杯(私はノンアルコールビール)して、すばらしい魚料理をたくさん注文して談笑となりました。やはりなぜれいわ新選組(れいわ)から出馬かという話になりました。  蓮池さんと山本太郎氏との間では、かなり以前から交流があったとのことで、その縁とのことでした。そして東電のやりたい放題はやめさせないといけないとの事でした。  「太郎くん(山本太郎氏)は、凄いよ」とのこと、私も同感です。  また、れいわからの出馬にあたり、お話を聞いた時点では、拉致問題を争点にするつもりはないとのことでした。理由は、これ以上拉致問題を政治の玩具にしたくないからとのこと。2002年9月17日以降、拉致問題が政治家の玩具にされてきたのは事実で、現時点で蓮池さんが選挙の争点にしても前向きの議論にはならないでしょう。参議院議員になってからの活動は、まずは野放しの東電の首に縄をつけること、世界一厳しいと僭称(せんしょう)しながら、世界にも珍しいほどの笊(ザル)である原子力規制行政を正常化すること、核災害被災者の救済、これだけでも大仕事です。

蓮池さんが憤慨していた電力事業者や政府の欺瞞

 蓮池さんのご自宅は柏崎市で、PAZ(Precautionary Action Zone。原子力施設から5km圏内)とのことです。柏崎市によると対象者は安定ヨウ素剤を取りに来いと広報しているそうですが、そもそも取りに来いというのがおかしいとのこと、持ってくるか送ってこいとのことです。実際に医師による問診があるわけでもないため、フランスのように対象者には無条件で定期的に送ってくるのが筋でしょう。医師法、薬事法との兼ね合いがありますが、それに関わる費用と手間は、明確に原子力のコストですので、事業者が負担すべきものです。形骸的な問診票の記入と、とりに行くという手間を住民にとらせるのは、責任転嫁の基本的なやり方です。  また、電力、自治体、政府が口をそろえてPAZ(予防的防護措置区域)だUPZ(緊急防護措置計画区域)だと市民に略号しか言わないのもおかしいとお冠です。そりゃそうです、高等教育の場では、少なくとも理工学においては、一般化していない専門用語、略語、アクロニムについては、使う側に一義的に説明義務があると教育されます。略語や専門用語を乱発する人間や組織は、その語彙を知られたくないから使う、市民に理解してもらう意思は皆無と考えて良いです。略語やアクロニムを説明無しに使うのは馬鹿の虚仮威しだというのが私のいた世界での共通認識で、学部生が血祭りにされていたものです。  緊急避難訓練もいい加減で、しかも道路網に致命的なチョークポイントがあるとのことで、柏崎・刈羽発電所が十五条通報の事態に陥ってしまえば、阿鼻叫喚になるだろうとのことでした。  ちなみに蓮池さんは、柏崎・刈羽原子力発電所に勤務したことはないとのことでした。皆さんよく間違われますとのことで、私も間違えていました。実際は、福島第一と本社勤務が多く、日本原燃に出向していたとのことです。Mark-I BWR、A-BWR、核燃料サイクルとくにMOX燃焼の専門家と言えます。  福島第一の1号炉、あれ、せっまいんですよ。入るのも、動くのも、作業するのたいへんなんです。そして2号炉、僕たちはペデスタルを「奈落の底」って呼んでいました。その上入ると天井から計装管だの制御棒制御装置だのが生えている。トーラスの上のキャットウォークでも作業しましたけど、アラームメーターがすぐに鳴るんですよ。線量が高くてたいへんでしたとのことで、生々しい話です。懐かしのポケット線量計の話題もありました。  蓮池さんは、実際には3号炉を担当していたそうです。1977年入社ですから76年3月操業開始のできたての新鋭炉を担当していたことになります。当時はどこもかしこもSCC(Stress Corrosion Cracking応力腐食割れ)で、毎日毎日対応に追われたとのこと、導入期、習熟期の原子炉ではこの手の不具合が激発し、とくにBWRでは応力腐食割れに悩まされたことはもはや歴史となった事実です。結局、SUS304(304ステンレス鋼)からSUS316(316ステンレス鋼)への配管素材変更、さらにはSUS316NG(原子炉級SUS316)といったステンレス素材の改良によって応力腐食割れをひとまず克服しています。その時代の生き証人とお話しできるのはとても幸せなことでした。  日本が1980年代の原子力黄金期を迎えることができたのは、こういった、現場とメーカーの不断の努力が背景にあったのです。
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蓮池さんが語った拉致問題と家族会のこと
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