眠りに就く大阪のイベント聖地「千里セルシー」――再開発はどうなる?

千里セルシー・セルシー広場

眠りに就く千里セルシー・セルシー広場

高度成長期の夢の跡がまた一つ消える

「日本初の大型ニュータウン」に登場した夢の街。  街の真ん中に生まれたお城のようなショッピングセンターは週末になると芸能人が来館し、溢れる人・人・人――千里ニュータウンの中心・千里中央駅前にある「千里セルシー」(大阪府豊中市)といえば、多くの芸能人がイベントをおこなう「聖地」として全国的にも知られるショッピングセンターであった。  そんな千里セルシーが50年近い役目を終え、静かに眠りに就こうとしている。

日本初の大型ニュータウンに生まれた「聖地」

 大阪・梅田から約10数キロメートル北側に位置するニュータウン「千里ニュータウン」の開発計画が生まれたのは今から約60年前の1958年のこと。  戦後の人口増加により大阪府などが計画したもので、1962年に1期まちびらきが行われたのち徐々に規模を拡大し「日本初の大型ニュータウン」となった。全体の開発面積は大阪府豊中市から吹田市にかけての約 1,160ヘクタールにも及ぶ。  その先進的な街づくりは注目を集め、1966年には昭和天皇が行幸されたほか、1969~1970年には千里地区の公団団地が万博従業員の外国人村となっていたこともある。また、日本初の本格的自動改札機が導入されたのも阪急千里線で、1967年の延伸開業に合わせたものであった。  千里セルシーが開業したのは、大阪万博直後の1972年。当初はゼネコンの「フジタ工業」(現・大和ハウス工業グループの「フジタ」)傘下の「千里レジャーセンター」により運営され、映画館やボウリング場など娯楽系テナントを中心とした複合商業施設であった。建物は地上6階・地下1階建で、延床面積は約45,305㎡。北大阪急行千里中央駅(1970年開業)と人工地盤で直結されている。  その後、リニューアルを重ね、1977年には当時全国で最も勢いがあったスーパーである「ダイエー」が新たな核テナントとして出店。2000年ごろにはゲームセンター「こどものくに」(ハローズガーデン)、スポーツクラブ「ルネサンス」、映画館「千里セルシーシアター」など100以上の専門店が出店し、多くの客で賑わった。  以降、何度か経営者が変わったのち2000年代からは阪急グループの運営となっており、現在は阪急阪神HD傘下の「阪急阪神ビルマネジメント」が管理・運営を行っている。
千里セルシー(2013年)

賑わっていた頃の千里セルシー(2013年)

 千里セルシーの名を全国に知らしめたのが、中央にある「セルシー広場」だ。  セルシーの建物はイタリアのコロッセオをイメージして造られており、スリバチ状になった建物の中央に設けられたのがセルシー広場だった。造りの斬新さも然ることながら、その知名度を「全国区」へと押し上げたのはセルシー広場で毎週末行われる「イベント」だった。  セルシーが生まれた1970年代は、芸能人のイベントといえば都心のデパートの屋上などが多かった時代だ。しかし、セルシーは郊外に位置しながらも「梅田から電車直結約20分」という利便性に加えて「コロッセオ型の建物とその中心に設けられた広場」という構造もあって多くのイベント誘致に成功。2000年代に入ってもきゃりーぱみゅぱみゅや倉木麻衣、矢井田瞳といったソロシンガー、ジャニーズ、ハロー!プロジェクト、AKB48などのアイドルグループ、そして氷川きよしなどのベテラン演歌歌手など、毎週末のように日本を代表する芸能人のイベントが開催され、やがてそれらのアーティストのファンから「聖地」とも呼ばれるようになった。開催日の各フロアのデッキはまさに「コロッセオ」の様相を見せた。(ここでイベント開催時の写真を掲載したいところだが、イベント中は撮影禁止なのである)  関西エリアの人でなくても好きな歌手やアイドルが居るならば、CDに封入されたイベント案内などで「大阪・千里セルシー広場」の名を見聞きしたことがある人も多いであろう。  こうした様子は全国各地のディベロッパーからも注目を集め、各地のニュータウンにおける「タウンセンター」の建設に際しても参考にされることとなったという。
次のページ 
老朽化が進み、大阪地震が決定打に
1
2
3
PC_middleRec_left
PC_middleRec_right
関連記事
PC_fotterRec_left
PC_foterRec_right