「民主化と逆行」。独裁化するカンボジアに「NO」と言わない日本政府

笠井哲平
 ’93年5月23日、カンボジア。数十年に渡る内戦を経て、当時の国連事務総長特別代表であった明石康氏率いる国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の下、初めての民主的選挙が行われた。残念ながら、この日に至るまでに、国連ボランティアの中田厚仁氏や文民警察官の高田晴行氏を含む多くの方々が命を落とされたが、少なからず日本はカンボジアの民主化に多大な貢献をしたのであった。

フン・セン首相による弾圧

日・カンボジア外相会談の様子(外務省公式HPより)

 それから25年の歳月が経過した’18年7月2日、日本。明石氏は、学者や専門家と共に、日本政府の政府開発援助(ODA)についての提言書を河野太郎外務大臣宛てに提出した。「カンボジアでは、民主化と逆行する政策が加速している」という内容だ。つまり、カンボジアの民主化を率いた当本人が、同国の政治情勢やそれに対する日本政府の外交政策に懸念を示したのだ。  今、カンボジアでは何が起きているのか? そこには、国家の様々な側面において「独裁的」と判断せざるを得ない現実がある。  ’93年の選挙後、「第二首相」という異例の役職についたフン・セン氏。’97年に第一首相に対して仕掛けた武力クーデターが成功し、以来30年以上に渡り権力を握っている。フン・セン首相の政治手法は主に強権的であり、’18年7月の総選挙前にはその問題点が著しく表面化することとなる。  たとえば’17年11月には、議席数を大きく伸ばしていた最大野党であるカンボジア救国党を最高裁が解党した。さらには党員たちを議会から追放し、118人もの幹部たちに5年間の政治活動禁止を科した。フン・セン首相は救国党が「カラー・レボリューション」を試みたという根拠なき主張の上、救国党解散要求に基づく訴訟を起こしていた。しかし、これに対して違法性を示す証拠は一切提出されなかった。(参照:REUTERS

メディアだけでなく一般市民も被害に

 調査報道などに力を入れていた現地の独立系メディアもまたフン・セン首相の標的となった。カンボジア政府により不可解な630万米ドルもの追加税を課されたカンボジア・デイリー紙は、’17年に廃刊。プノンペン・ポスト紙は’18年にフン・セン首相と繋がりがあるとされるマレーシアの投資家によって買収され、また、ラジオ・フリー・アジア(RFA)とボイス・オブ・アメリカ(VOA)などクメール語放送を再放送するFMラジオ局も当局によって強制的に閉鎖された。(参照:AFP日本経済新聞The Cambodia Daily)  非政府組織(NGO)や一般市民も例外ではなく危機にさらされている。’15年以降、カンボジア政府は表現の自由や結社の自由をがんじがらめにするような法改正を次々に実行している。たとえば、’15年に採択された「結社及び非政府組織に関する法律」の不当な解釈を根拠に、当局はNGOが開催するイベントなどを監視や干渉したり、時には組織として登録を試みている団体に対して「政治的中立性」など曖昧な理由でこの申請を拒否したりしている。また、’18年2月にはカンボジア国王に対する不敬罪が成立し、フェイスブックの投稿を根拠に小学校の校長先生や床屋さんが不敬容疑で逮捕された。(参照:毎日新聞The Phnom Penh Post毎日新聞)  支持を集めていた最大野党は解党され、独立系メディアが口封じされ、市民社会は弾圧。「公平で自由」な選挙を行えるはずがない環境でも、’18年7月の総選挙は開催された。フン・セン首相率いる与党のカンボジア人民党(CPP)が全125議席を獲得し、カンボジアはベトナムや中国と並び、事実上の独裁国家になった。 (参照:日経新聞
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欧米と乖離する日本の対カンボジア外交
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