裁判長が証人調べの終了を宣言し、原告と被告に次回の口頭弁論で結審し、その上で判決言い渡しを行うと表明し、双方に最終準備書面の作成にかかる日数を聞き、次回期日の日程を決定したいと述べた後、橋下氏は突然挙手した。
「裁判長、途中ですが、証言の補充を行いたい。謝罪と訂正が被告からあれば提訴しなかったことについて一言言いたい」と発言した。これには、傍聴席から失笑が漏れた。
裁判長は「証人調べはさきほど終わった」と答え、岩上氏の代理人弁護士も「証言は終わった」と拒否した。それでも、橋下氏は「謝ってさえしてくれれば裁判にしなかった」と再び発言した。裁判長は「言いたいことは最終準備書面で主張してほしい」と橋下氏の請求を拒んだ。
橋下氏は、岩上氏に何の連絡もせず、いきなり訴状を提出している。それなのに、「謝ったら提訴しなかった」というのだ。橋下氏は何を焦っていたのだろうか。岩上氏の代理人の西弁護士は「橋下氏に言ってもらったほうがよかったかもしれない。何を言おうとしていたのだろうか」と話している。
橋下氏は報道陣の囲み取材も受けず、裁判所から消えた。次回の口頭弁論は7月4日(木)午前10時半、大阪地裁1010号法廷で開かれる。
大阪弁護士会館での集会で、岩上氏が報告
西弁護士は裁判後に大阪弁護士会館で開かれた報告集会で、「私たちの調査で、府の調査報告書に、遺書の内容がわかった。『仕事上の課題・宿題が増え続け、少しも解決しません。頑張っても頑張っても出口が見えません。もう限界です。疲れました。グループ員がこのようなことにならないよう、配慮願います』という言葉を遺して入水自殺した」と述べた。大阪府では「係」制を廃止して、グループ制にしている。
N参事は「府の決定を現場サイドが従わなかった」と叱責され、上からと下からの圧力に挟み撃ちにされて、自ら命を絶った。N氏がなぜ死んだのかが、この裁判をとおして明らかになってきた。府の方針を現場で拒否したと罵られた部署の中心に座っていたのがN参事だった。
橋下氏は、岩上氏のリツイートによって、どういう損害があったかを証言しなかった。訴状には、事実誤認があるという主張もない。
一方、被告の岩上氏は「この提訴で、弁護士費用、IWJのインタビューの激減などで会員数、カンパが減り、いろいろな病気になり、1800万円以上の損害があった」と強調した。
この日の証人尋問では、裁判長が何度も「聞かれたことに答えるだけにしなさい」「時間がなくなる」などと、岩上氏の発言を制止。岩上氏の代理人弁護士の反対尋問の際も、「こういうことか」と聞いて、「それでは私が聞きます」と勝手に弁護士の質問を翻訳して聞くことがしばしばだった。
橋下氏の大阪と東京の事務所がメディアチェックを行い、内容証明郵便を送って、事前交渉で謝ってきたら訴えないということを日常的にやっていることが分かった。しかし、どう交渉し解決しているのかは不明だ。
<取材・文・写真/浅野健一(ジャーナリスト、元同志社大学大学院教授)>
※2018年4月19日行われたこの裁判の第1回口頭弁論については、筆者は『週刊金曜日』に書いている。