湾岸戦争 Photo via Good Free Photos
社会学者の宮台真司は「終わりなき日常を(まったり)生きろ」と言った(宮台真司『
終わりなき日常を生きろ――オウム完全克服マニュアル』筑摩書房)。今から振り返れば実に言い得て妙だ。右肩上がりの経済成長が期待できなくなった時代≒「終わりなき日常」の時代において、まさにオウム事件や神戸連続児童殺傷事件のような他者や社会の破壊に走ることなく、他者侵害に至らない様々な享楽を消費しながら、まったりとサバイバルせよ、というメッセージはまさに時代精神の正鵠を射たし現在ですら一顧に値するはずだ。
1990年代の変化の萌芽が本格的に花開くのは2000年代以後のことであった。経済のみならず人口増は終焉し、統治機構の中央集権化や、小選挙区と無党派層の存在にあわせた選挙戦略の発展や自民党の変容、メディア環境と力学の現実の変化が生じるのも軒並み2000年代以後のことである。
この時代に新語・流行語大賞はどのような政治の言葉に注目したのだろうか。以下、「
『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン 新語・流行語大賞」のサイト内の「過去の授賞語」を通じて、それぞれの年から1語程度ずつ広義の政治に関わる言葉を選評とともに取り上げて論評する。以下、次回以後も同様の形式をとる。
●1989年(特別部門・語録賞)「NOと言える日本」石原慎太郎
“「石原慎太郎と盛田昭夫の共著『「NO」と言える日本』が出版され、ベストセラーとなった。「これからの国際関係は協調だけではなくNOと言うことも必要」というのが本の主旨だが、国際派として知られる両者の発言だけに反響は大きかった。もじって「NOと言える○○」が使われ、流行語となった”
●(新語部門・金賞)「セクシャル・ハラスメント」河本和子(弁護士)
“欧米ではすでに社会問題化していた「セクシャル・ハラスメント」だが、日本では“西船橋駅転落事件”の判決が出たこの年、一気にスポットライトを浴びた。この事件は、酒に酔った男性がしつこく女性にからみ、避けようとした女性がはずみで酔漢を転落死させてしまったものだが、その酔漢には、そして多くの男性の中にも、抜き難い“女性軽視”の発想があることが判決で指摘された。日本で初のセクシャル・ハラスメント裁判と言われ、河本は弁護人として活躍した。”
(出典:「
『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン 新語・流行語大賞」第6回1989年授賞語)
『「NO」と言える日本』というタイトルはまさにバブルの頂点に向かおうとする日本の上り調子を反映したものである。一見、平成最初の年はこのような勢いのある言葉で幕を開ける。プラザ合意による急激な円高による海外渡航者が1000万人に達し、竹下内閣において、2年をかけて各市町村に計1億円を提供するという「自ら考え自ら行う地域づくり事業」、通称、「ふるさと創生一億円事業」といった怖いものなしの感すらある政策が取り入れられた大胆な時代だったのである。しかしその背後で消費税(3%)が導入されるなど、財政再建に向けた配慮の片鱗も見られる。
平成元年の新語部門の金賞は「セクシャル・ハラスメント」であった。ソーシャルメディアを通した米映画界のセクハラ告発で火がつき、日本でも広がった「#metoo」、派生した「#wetoo」などのムーブメントが象徴するように、性的ハラスメントを巡る問題を日本社会は平成の時代を通して十分には解決できなかった。
1985年に女子差別撤廃条約に批准するために男女雇用機会均等法が制定されたが、実態がまったく追いついていないことは度重なる同法の改正や今なお続く様々な男女の社会的な非対称性が物語っている。『「NO」と言える日本』と「セクシャルハラスメント」が同時に授賞語となっている点は、平成という時代の幕開けとともに、表層の、つまり経済的卓越性の背後にある脆弱さが同時に予見されていたかのようでとても興味深く見える。
●1990年(新語部門・銀賞)「“ブッシュ”ホン」岡崎守恭(日本経済新聞社政治部)
“1989(平成1)年8月に首相に就任した海部俊樹は、90年8月に勃発した湾岸危機では対処不能に陥った。その海部を支えたのが、ブッシュ米大統領からの電話。日本側の対応をアメリカ寄りにするためにハッパをかけたものだが、ブッシュからの電話があるとにわかに元気づくことから「『ブッシュ』ホン」といわれた。日経のコラムに登場、日米首脳の象徴的な位置関係を、わずかカタカナ5文字で軽妙に活写してみせた。以来、各メディアがこの言葉を使いだし、皮肉な流行語となった”
(出典:
「『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン 新語・流行語大賞」第7回1990年授賞語)
リクルート事件で引責した竹下総理に続く、宇野総理は自身の女性問題も災いし短命に終わった。緊急登板的にその後を継いだのが清廉なイメージを有する海部俊樹であった。湾岸戦争と日本の対応の決断の遅れは「普通の国」論争を招来した。結局、決断を後押ししたのはアメリカからの強い要請だった。この要請によって巨額の資金が拠出されることになった。政治的には現在に至るまでこうした日米間の構図は継続している。
いまも我々はアメリカの意向次第で喫緊の必要性がいまいち明確にならない「次世代戦闘機」を大量に購入している。それどころかアメリカの威光を背景にする政治すら堂々と行われるようになっている。例えば在日米軍普天間基地の名護への移設は既に事実として20年も先延ばししてきたにもかかわらず、「これ以上、アメリカとの約束を先延ばしできない」ことが理由で完成が見えない工事が沖縄県民の意思に反して続けられている。
なお余談だが、後の小渕首相が自ら各方面に電話をかける様を評した「ブッチホン」はこの「ブッシュホン」をもじった表現でもある。