去る2月1日、合衆国は
中距離核戦力全廃条約(INF条約)の破棄をロシアに通告し、すでに米露両国は条約履行をやめています。正式に条約失効となるのは、2019年8月1日です。
INF条約は、1987年12月7日に米ソ間で調印され、これにより最悪期であった米ソ冷戦は終結に向かいました。当時の私は主戦論者でしたが、そうであってもINFの脅威は日常から肌身に感じるほどの切実なものであって、INF条約の締結に心底安堵したものでした。INF条約成立前の核の恐怖は、大衆文化にも色濃くでており、「北斗の拳」や、「ターミネーター」シリーズなどはその典型といえます。ソ連圏でも厳しい検閲下にありながら「ストーカー」や「死者からの手紙」などといった核戦争の恐怖を暗示、明示した作品が多数発表されていました。
INF(Intermediate-range Nuclear Forces)とは、SS-20やパーシングIIなどの中距離核戦力を指し、核搭載のIRBMやMRBM、巡航ミサイルが対象となりました。具体的には、欧州配備のSS-20とパーシングII/Ia/I、極東配備のSS-20などと核搭載の地上発射巡航ミサイルが対象であり、この全廃によって日本、韓国、西ドイツをはじめとする西欧諸国とそれに対する東欧諸国とソ連極東地域が核の脅威から解放されました。なおINFに艦載兵器は含めません。
合衆国にとっては、同盟国である日本、韓国、西独などが核で焼き払われるだけですし、ソ連にとっても東欧諸国と極東、白ロシアが焼き払われる程度ですので、INFは比較的使いやすい核として全面核戦争の敷居を大幅に下げる効果があったために、核戦争の可能性を歯止めが効かないまでに大幅に高めるとして激しい反核運動が起こりました。特に国土全体が戦術核で焼き払われる想定であった西独では、全市民的な反核運動となりました。
INF全廃条約は、この脅威をなくすという意味合いで、非常に高く評価され、後の戦略兵器削減条約(START)へとつながりました。
今やINF条約は、事実上失効しましたので、米露はINF配備を今後急速に進めることになります。現在合衆国が展開している弾道弾迎撃システムは、北朝鮮などの新興核保有国の弾道弾や、偶発核攻撃を対象としたもので、米露という二大国に加えて中国の大規模核戦力に対処する能力はありません。加えてすでに中露は合衆国の弾道弾迎撃システムに対抗した迎撃不可能の搬送手段(ミサイルなど)を開発し終えており、もはや合衆国の優位は風前の灯火です。これも常識ですが、
兵器の進化は、常に攻撃側圧倒的優位であって、迎撃兵器は常に無効化の脅威にさらされています。
仮にロシアがINFを大規模に配備した場合、合衆国の迎撃システムは障子紙のように容易に突破されることになります。
特にロシアはイージス・アショアを名指しでINF条約違反と批判してきました。INF条約が合衆国の都合で失効した今となっては、イージス・アショア配備国は対露INF配備国としてロシアによる徹底した対抗措置をとられることになります。具体的には
対日戦略核の本格配備が再びあり得るということです。
軍拡競争は周辺国も巻き込みます。
ロシアがイージス・アショアをINF条約違反と見なしてきた以上、中国も萩のイージス・アショアをINFと見なすことになり得ます。
結果として、
イージス・アショアは、対日戦略核の撒き餌になるという最悪の結果をもたらしかねません。
軍備というものは、カタログスペックだけでは語れません。兵器のカタログスペックは刺身の上のタンポポのようなものです。軍備を何の目的で、どのようにどの程度の規模で整備するかと言うことは、
外交、経済、財政、と四位一体で語られねばならないことです。
ホビー軍事アナリストが陥りがちなカタログ談義、軍備のみしか視野にない思考は全く無意味です。日本では政治家や防衛官僚もそういった素人の落とし穴にはまりやすく、実際に旧帝国の軍備はカタログスペックだけ立派なガラクタ揃いでしたし、自衛隊も弾なし、燃料なし、携帯応急医療品なし、被服すら満足になく隊舎糧食まで貧相で隊員なしのカタログ自衛隊(かかし軍隊)に陥りつつあります。
軍備は官僚や政治業者、ホビー軍事アナリストの玩具ではありません。限られた予算の中で熟慮熟議によって最大効率で整備するものです。イージス・アショア日本配備は、本来あるべき日本の防衛装備の姿から著しく乖離した最悪の代物であると断ずるほかありません。
『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』イージス・アショア編−番外
<取材・文・撮影/牧田寛 Twitter ID:
@BB45_Colorado>
まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についての
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