筆者は、このプロジェクトには賛同できない。理由は2つある。
まず、その命名だ。
トラックに乗る女性をわざわざ「トラガール」とすることで、業界イメージが改善されることはもちろんないし、看護師やキャビンアテンダントなど、業界内の性差をなくそうとしている時流の中、この「トラガール」は、時代に逆行した流れでしかないと感じるからだ。
この固有名詞ができて以来、筆者は時折「トラガールだったんですね」と言われるようになったのだが、筆者は決して「トラガール」ではない。
2つ目は、そのサイトに散らばる「ピンク色」である。
普段働くうえで、製造の世界にも物流の世界にも「ピンク色」したものは周りに一切ない。
「女性を募集するのだからいいのでは」と思われがちなのだが、仮にホワイトカラーをピンク色で「事務ガール」とした場合、誰しもが「安っぽい」と違和感を覚えるはずだ。
そこに、「女性の女性による女性のためのキュート・トラック・プロジェクト」と題し、名前の付いた真っピンクのトラックまで登場した時は、それまでやってきた自分の仕事が軽視されている感が否めなかったのだが、さすがにこうした現場の声を察したか、幸いなことに現在「ピンクのトラック」を路上で見ることはない。
女性トラッカーを増やそうとする活動自体は、決して悪いことではない。距離やトラックの大きさを考慮すれば、女性でも快適に走れるようになると思う。
が、先述したような「ブルーカラー」の実態に目を向けず、女性ドライバーのイメージを「ピンク」に染める「ホワイトカラー」生まれの発想は、現場を生きた人間からすれば「多色混同」が過ぎ、決して気持ちがいいものではない。
真っ先に改善しなければならないのは、“業界イメージ”ではなく、「現場の環境」にあるのだ。
余談になるが、クルマ業界に「性」を持ち込む現場として同じく違和感を抱くのが、「モーターショーのコンパニオン」や「レースクイーン」の存在だ。
幼いころからクルマの製造現場を見てきたためか、筆者は昔からクルマが好きでよくモーターショーの会場に足を運ぶのだが、そこには必ずと言っていいほど展示車の隣に女性コンパニオンが立っている。
本当にクルマが好きな人間からすれば、彼女らの存在は「視界を遮る存在」でしかなく、状況によってはクルマの価値さえ落としかねない。
そのクルマのコンセプトに合ったモデルが立っているのなら深く理解はできるものの、ファミリーカーの傍に女性1人を立たせる意味は、全く理解できない。
中にはコンパニオン目当てのカメラマンもおり、「入場者数が増える」、「画像を拡散してくれる」という主催者側の事情もあるだろうが、クルマを「男性が見るモノ」と決めつける姿勢を改めれば、その分間違いなく「インスタ映え」を狙う女性来場者は増えると筆者は毎度思うのだ。
長年、男性社会に身を置いてきた手前、こうしたブルーカラーの現場で生きる男性の「昨今の肩身の狭さ」も、反面理解できる。詳しくは次回に述べるとするが、いずれにしろ、社会をできる限り平等にしていくのには、どんな差別問題においても「互いの理解と知識」が必要になることは間違いない。
【橋本愛喜】
フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。