空爆で負傷した右足を切断したばかりのマリック君(当時14歳)。宿泊施設で共同生活を送りながら病院に通っていた。手前はイマッドさん(2013年12月)
2018年9月29日、シリア政府はヨルダンとの国境であるナジブ検問所を3年ぶりに再開したと発表した。内戦下で2015年に反体制派が同検問所を制圧して以来、国境の往来は封鎖されていた。
筆者は9月の初めにシリアの首都ダマスカスを訪問したが、行く前に抱いていた戦争のイメージとは少し異なっていた。多くの人々が戦争にうんざりして「政治的な解決は後回しにしても、日常生活を楽しみたい」との思いを持っていると感じていた。
国境が開いたことで、明らかにシリア内戦は終わりに近づいている。ヨルダンのニュースは、多くのヨルダン人が、シリアポンドの暴落を利用して買い物ツアーにダマスカスを訪れているという。
一方、ヨルダンのシリア難民たちはどうか? ロシア国防相の発表では、2018年12月20日現在でヨルダンから帰還したシリア難民は3万8675人にのぼるという。とはいえUNHCRによると、いまだヨルダン国内に登録しているシリア難民は67万人を超えている。本格的に帰還が始まるまでには時間がかかるだろう。
アサド政権の無差別攻撃に、多くの子どもたちが手足をもぎ取られた
2012年から、
JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)はヨルダンでシリア難民の支援を行ってきた。当時は、血を流したまま負傷者が運び込まれてくることもあった。自由シリア軍の兵士もいたが、政権側の無差別攻撃で犠牲になる子どもたちも目立った。
シリア南西部のダラーでバスの運転手をしていたイマッド・アバジッドさんは、内戦が激化すると、ヨルダン北部のイルビッドに避難してきた。彼は、ボロボロになったワゴン車をタクシー代わりにシリア難民のために運転して生計を立てていた。
その傍ら、ボランティアで怪我人や病人を病院に連れて行っていた。イマッドさんは、重症の怪我人や患者を見つけては、私たちのところに支援を訴えてきた。
約5年前(2013年)の12月、ヨルダンは雪が積もって寒かった。イマッドさんが「イルビッドのアコモデーションセンターを見てほしい」と言う。車があまりにもボロくて、途中で何回もエンストしてしまった。しかし、イマッドさんがスパナでエンジンを何度か殴ると、不思議と車が動き出した。
そんなことを繰り返しながら彼が連れて行ってくれたのは、目抜き通りに面したアパートだった。彼らが「アコモデーションセンター」と呼んでいたのは、シリア難民の医療関係者が中心となってお金を集めて借りたアパートだった。
そこでは、怪我人や病人の宿泊施設だけではなく、医療相談を受けて病院と入院の調整をしたり、リハビリのようなことも行っていた。手足を切断してしまえば、病院から放り出されるから、こういった施設は重宝していた。
車椅子で現れたムスタファ君(13歳)は2か月前に、クリーニング屋の前に座っていたところロケット弾が飛んできて、右腕と右足が吹っ飛んでしまった。1発目が飛んできたときはみんなで逃げたが、2発目に当たってしまった。