カンヌ国際映画祭2017でパルムドールを受賞した映画『BPM ビート・パー・ミニット』
―――カンヌ国際映画祭2017でパルムドールを受賞した映画『BPM ビート・パー・ミニット』は、エイズがまだ死の病であった時代のフランスを描いています。あなたも恋人をエイズで失っていますね。ご感想をうかがえますか。
ロメロ:『BPM ビート・パー・ミニット』は偉大な映画です。エイズと戦う推進派の団体であった「Act Up Paris」の話です。Act Upはまずニューヨークで活動が始まり、1980年代の終わりにフランスでも結成されました。特に1980年代の終わりから1990年代の初めにかけてとても重要な役割を演じました。人々が死んでいて、早急な注意喚起の必要があり、治療の方法も確立されつつありましたがとても時間がかかったので、彼らは研究所や製薬会社に注意喚起をしたり、政治の責任者にも注意を促しました。
その政治家らのうち何人かはエイズのことを話すまでにとても長い時間をかけ、例えばアメリカでは多くの重篤な事例がありましたが、レーガン大統領は1987年に初めて『エイズ』という単語を口にし、フランスでフランソワ・ミッテランが初めて『エイズ』と言ったのも同じく1987年でした。エイズと戦うための措置が初めてなされたのもそれと同時期でした。この映画が重要である理由は、エイズとの戦い初めは主にゲイによってなされ、後に麻薬の使用者や性風俗産業従事者の女性などが加わりました。
私もAct Upがパリでできた頃から、HIV団体のメンバーで今まで様々な団体に長く在籍していましたが、アクトアップのメンバーになったことはありません。設立時、私は議員でしたので、映画でも描かれているように逮捕も辞さず抗議するといういささかラディカルな同団体のメンバーにはなれませんでした。でも今は彼らの戦いを支えています。また、人々が亡くなっていた時代に彼らがいかに大事であったか、私は伝承しています。
さまざまな人たちのエイズに関する意見を聞いて私が想起するのは「愛の反対は無関心」というマザー=テレサの言葉だ。日本は残念ながら、先進国に比べて、HIV検査の受診者も少なく、「死なない病」になったためからか、関心がいま一つ少ない。その表れが、30%の人がエイズを発症して感染していることに気がつくことだ。フランスなど先進国では数%台だ。エイズはまだ終わっていない。
29日の啓発イベントでMCの山本シュウさんは次のように結んだ。
「本当はね、こういうイベントがなくなる日がね、HIV・エイズ問題が解決する日だと思う。僕はねそれを祈って、できればもう来年なくなればいいなあと思っています。って早すぎるか。ありがとうございました」
啓発がなくても、誰もが安心して、多様性が尊ばれ、多彩性が発揮される日が、最終地点なのではいだろうか。
<取材・文/及川健二(France10日本支局長)>