麻薬王「エル・チャポ」の公判がNYで開始。最も費用がかかる裁判に

麻薬王「エル・チャポ」の足跡

 米国で最も高い費用が掛かる公判にさせたエル・チャポのこれまで辿った過程を以下に紹介する。それを、スペイン電子紙『El Confidencial』とアルゼンチン紙『El Clarín』が11月5日付にて上手く要約しているのでその一部を拝借することにする。  因みに、彼の出身国であるメキシコはこの公判についての紙面での報道は並みの報じ方で終わっている。メキシコは今もカルテルによる犯罪が横行している状態であるがゆえに、この公判を積極的に報じるのは社会的に都合が良くないと判断しているように推察される。 1954年4月4日 エル・チャポはメキシコのシナロア州にて誕生。 1969年 15歳の時に大麻を栽培。エル・チャポという呼び名は彼の身長が164㎝と低いことから付られたという。 1980年 当時、最も勢力を張っていたミゲアンヘル・フェリックス・ガリャルドが率いるカルテル「グアダラハラ」に加入。 1989年4月 ミゲアンヘル・フェリックス・ガリャルドが逮捕されて収監。エル・チャポはクリアカン市に場所を移して、そこで3人の仲間と一緒にカルテル「シナロア」を創設。 1991年6月 逮捕されるが、10万ドル(1100万円)で警察部長を買収して脱獄。 1993年6月 中米グアテマラで逮捕されて、メキシコに送還されてアルティプラノ刑務所に収監。 1995年11月 警備がより厳重なプエンテ・グランデ刑務所に移される。  2001年1月 刑務所の監視員を買収して洗濯物が入ったカートの中に隠れて脱獄 2011年6月 米国は彼についての情報提供者には500万ドル(5億5000万円)の報酬金を提供すると公知。 2014年2月 シナロア州マサトゥラン市で米国の麻薬取締局(DEA)の協力でメキシコ海兵隊によって捕獲される。 2015年7月 アルティプラノ刑務所の彼の独房のシャワー受け皿の下から仲間の手助けで1.5キロの地下トンネルを掘って脱走。 2015年10月 ハリウッドスターショーン・ペンがエル・チャポが惚れたメキシコのメロドラマ女優ケイト・デル・カスティーリョに案内されて彼が身を隠していた場所を訪問。雑誌ローリングストーンに彼との会見を掲載するのだという目的でペンは録画を撮った。エル・チャポがペンとの会見に応じたのは彼の生い立ちを映画にして欲しいという願望があったからだという。この招待が彼の逮捕に結びつくことになった。というのは、警察はケイト・デル・カスティーリョがエル・チャポと接触があるというのを知っており、彼女の行動を追跡していたからである。ちなみに、この会見が無かったならば、今もエル・チャポは逮捕されていなかったであろうと推察されている。 2016年1月 メキシコ連邦警察は彼を逮捕して再びアルティプラノ刑務所に収監。 この時点から米国政府はメキシコ政府に彼の米国への送還を執拗に要求して来るのである。メキシコのペーニャ・ニエト大統領はメキシコで裁きたいとしてそれを拒否し続けられるのは時間の問題とされていた。 2017年1月20日 メキシコ政府は米国の要求を受理してエル・チャポの身柄を死刑の判決は下さないという条件付きで米国に送還することを決定。    米国に送還されて今月の公判まで彼は、前述の連邦刑務所メトロポリタン矯正センターに収監されていたのである。彼が唯一独房から出ることが出来るのはガラス張の壁を隔てて彼の弁護士との面談と7歳の彼の双子の女の子と面会する時だけである。また、ひと月に1回、15分間母親と姉妹と電話で話しができることになっている。29歳のモデルの彼の夫人との面会は許可されていない。(参照:「El Periodico」)
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