会計検査院は独立した権限を持って「民主主義の剣」となる
会計検査院のウェブサイトより、アテナス市の公園整備事業に関する予算と執行状況。予算(棒グラフ左)に対して執行額(同中)が少なく、未執行額(同右)が多く残っていることがわかる
もちろん、どこにいくら予算がついているか、あるいはいないかも一目瞭然なので、アンバランスな予算配分がなされていれば、それも市民が告発できる。会計検査院は、市民に与えられた「民主主義の剣」なのだ。
会計検査院の仕事はまだまだある。ついた予算の執行状況や公有物(土地・建物も含む)の売買のチェックはもちろんのこと、予算編成の段階で、予算案が適切かどうか、国会で議決する前にチェックし、不適切な部分に関して予算の増減を勧告する。国会はそれを受けて予算案を修正し、年次予算が決まる。
日本の場合は、予算の適不適を決する実質的権限は財務省が握っている。コスタリカの場合、その権力は会計検査院にあるということだ。
政治資金の管理が適切かどうかも、彼らは領収書を1枚ずつチェクしていて、選挙の後には勧告が嵐のように出される。そのため、会社の経営者が国税庁を恐れるがごとく、この国の政治家は会計検査院に対してナーバスにならざるを得なくなる。
それもこれも、行政が会計検査院を司っているのではなく、むしろ会計検査院が行政に対して強い権限を持って介入する仕組みになっているからだ。日本と比較すると、仕組み的には逆に作用していることになる。
独立・透明・公開と市民の利用促進が会計検査院のキモ
そもそも「会計検査」とは、行政の無駄遣いや、政治的に問題のあるおカネの使い方をチェックすることだ。そのキモは、会計検査院が政治や行政から独立していること、検査が透明ですべての情報が市民に公開されていること、そして市民がそれを使うことだ。これらは、国立公文書館とも共通している。
日本の会計検査システムでも、行政や政治のチェックがきちんとされていると信じたい。しかし、森友学園の事件で判明したのは、会計検査院の行政府からの独立性に関する疑問だった。会計検査院は、同学園への国有地売却額が異様に安かったことに気づいていながら、実質的に何もできなかったからである。
その透明性にも疑問符がつく。なぜなら、日本の会計検査情報がコスタリカほど詳細に渡って公開されていないために、市民が透明性を確信できないからだ。その情報を使おうと思って情報公開請求をしても、黒塗りのいわゆる「のり弁」の紙が出てくるだけで、とても市民が政治や行政のチェックに使える代物ではないことも多い。
ただし、これを「会計検査院の怠慢だ」と簡単に切って捨てることもできないだろう。コスタリカでは、会計検査院の独立を保つため、強い権限を持たせている。そのモダンな建物は威厳を示し、人口わずか500万の国で、会計検査院本部だけで600人以上が従事していることからもそれはうかがえる。