ここで安倍官邸に沖縄県知事の椅子を奪いとられると、どのような苦境が待っているかについては、玉城デニー氏の主張とは完全に離れた、わたし個人の見解として述べさせていただく。
佐喜眞氏は宜野湾市長時代に、日本会議主催の復帰記念集会において、閉会の挨拶を述べたことがある。
この集会では、なんと那覇市内の保育園児たちがあの「教育勅語」の現代語訳版を朗唱させられるという「事件」まであったことが知られているのだ。幼い子供たちが「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」と合唱する様に恐ろしさを感じたのはわたしだけではないだろう
また、佐喜眞淳氏がこの集会の最後の挨拶で強調したのは「日本人としての誇りを持たなければならない。まさにこのひと言に尽きると思います」という点だった。
これは、故翁長雄志知事や玉城デニー衆議院議員が大事にしてきた「沖縄のアイデンティティ」に真っ向から対立する言葉だ。
もちろんどんな思惑も思惑として抱くことはそれぞれの自由だが、しかし、現実にこの人が沖縄県知事になってしまったときのことを、わたしたち一人ひとりが、想像力を働かせて思い描き、危機感を持つべきだろう。
<取材・文/渡瀬夏彦>
わたせなつひこ● 28年の沖縄通いを経て移住13年目を迎えたノンフィクションライター。