ゴンサレス大統領の就任を祝した昭和天皇の親書(1928年)。日本から訪れると聞いて、貴重な歴史的書類をわざわざ用意して待っていてくれた
コスタリカの国立公文書館は、政治や行政、司法といったあらゆる権力や権限から独立している。つまり、権力の意向を忖度しない公文書管理が行なわれているということだ。ここが、日本と大きく違う。
コスタリカでは、すべての官公庁に、国立公文書館のトレーナーによって訓練された、独立したアーカイビスト(公文書管理官)たちの部局が設置される。つまり、「忖度しないアーカイビストの一団」が、各省庁にいるということだ。
いったん各部署で作成された文書は、それぞれの行政機関のアーカイブ部門によるチェックを受けたのち、国立公文書館に送られる。そこでさらなるエキスパートの審査を経て、後世に残す文書と廃棄される文書をより分ける。
公文書館のアーカイビストも、各行政機関のアーカイビストたちも、自分たちの仕事が「歴史を作る」という誇りを持って仕事をしている。それは、彼らが権力ではなく目の前の文書に忠実であることの重要性を、権力から独立した公文書館のエキスパートたちによるトレーニングを通じて理解しているからだ。
いくら公的アーカイブが揃っていても、それを市民が積極的に利用しなければ、ただの紙ゴミでしかない。そこでコスタリカ国立公文書館は、一般市民が公文書を利用することを推奨している。
たとえば、同館は一般向けのガイドツアーを常に行っている。今回同館を訪問したのも、コスタリカの公文書管理システムを調べている時にそれを知ったことがきっかけだった。
各公的機関だけでなく、学校やコミュニティにも出張して、公文書館の存在意義やその使い方をレクチャーしている。単に「利用を推奨」と口でいうだけでなく、実際に利用してもらうための努力をしているのだ。
公文書は、まずきちんと管理されなければならない。これが第一の必須条件である。また、それを利用できる環境を整えることが第二の条件だ。第三に、実際に使われるよう誘導することが重要だ。そこまで到達してはじめて、公文書館はその存在意義を持つ。「モリカケ事件」を鑑みると、日本は第一段階にすら到達していないと思わざるを得ない。