海の資源を守るために、森を整備する
鈴木副社長によると、かつて小田原は日本一のブリ漁獲量を誇っていたという。1954年(昭和29年)には年57万本のブリが水揚げされていたが、現在は数千本にまで減ってしまった。これは相模湾にブリがいなくなったのではなく、神経質な性質のブリが小田原の浜に寄らなくなったのだという。
西湘バイパスの騒音や振動に加え、上流にダムができたことによって海に入る植物プランクトンが減少、海の生き物が減ってしまった。さらにダムが土砂をせき止め、山から海に砂が入らなくなったために砂浜が小さくなっていき、陸の音がより伝わりやすくなってしまったのだ。
そのため鈴廣では神奈川県の「かながわ水源の森林づくり」というプロジェクトに参加。さらに小田原の市民団体が進める
「ブリの森づくりプロジェクト」とも連携、「森の再生からブリの来るまちへ」をテーマに、手入れ不足で荒れ放題になった上流の人工林整備を開始している。「山と川が元気にならなければ、海も元気にならない」というわけだ。
鈴木副社長:かつては、上流の良質な植物プランクトンが小田原の豊かな海をつくっていました。時間はかかりますが、箱根・小田原の山を昔のような魚付林にし、日本海側へ行かずとも箱根や小田原で美味しいブリが提供できるようになれば、ここへ来ていただく価値がさらに上がると思います。
まがりなりにも「老舗」と呼んでいただけるとしたら、それはまわりに支えられて続けてこられたということ。その感謝の気持ちを、お客様に、地域に還元したいと思っています。
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老舗なのに新しい。伝統の持つ良さを保持しつつ、変えるべきところは変えていくという姿勢。これが、老舗の「持続可能」である最大の理由なのだろう。
新連載◆老舗の智慧 第1回
取材・文・撮影/鈴木麦(フリーライター、古代史・老舗企業研究) 写真提供/鈴廣