俺が住む匝瑳市でも、集落の絆やおつき合いが多いところもあるし、全くないところもある。おつき合いの多い集落に移住した面々は、確かに少なからず窮屈な部分がある、しかし!
1)家を出るとすれ違う人みんなが笑顔で挨拶して、元気もらえて嬉しくなる。
2)ゴミ捨てに行くと、帰りにはご近所さんから両手いっぱいに採れたて野菜などを貰う。
3)集落にゴミは少なく、落ちていれば誰かが拾い、人っていいもんだと嬉しくなる。
4)留守の洗濯物、雨が降ればご近所さんが入れてくれる。
5)近所の年配者が様々な知恵を与えてくれる。
6)子どもがどこで遊んでいても集落の皆が見守ってくれて安心。
7)孤独感がない。
8)近所の目が光っているので、鍵を掛けない、窓を閉めないで出かけても安心。
9)よって泥棒に入られることはない。
それに対して、こういうケースはどうだろうか。俺が住む場所は、近所に人がほとんど住んでいない。人付き合いの煩わしさがなく気ままだ、しかし!
1)唯一のご近所さんは偏屈オヤジで、挨拶してもいつも無視で気分が悪い。
2)声を掛けてくるときはクダラナイことで文句を貰う。
3)家の前の道路はポイ捨てのゴミがたくさんあり、疑心暗鬼になる。
4)留守の洗濯物、雨が降ったら当然ビチョ濡れ。
5)見知らぬ年長者が犬の散歩で我が家の庭に犬を放してウンコを放置してくれる。
6)子どもが遊んでいても庭から外に出るときは厳重注意。
7)1人でいると、何かあった時に不安で孤独、大声出しても近所はいない。
8)近所の監視がないので全ての窓を閉め、鍵を閉めて出掛けても心配。
9)今まで7年間で3回も泥棒に入られている。
泥棒は悪質で、門をトラックでぶち破り、冷暖房の室外機や給湯器などを壁から強引に引き剥がして持って行く。門が倒されているのだから、誰が見ても泥棒被害に遭っているとわかるものだが、唯一のご近所さんも教えてくれないし、通報もしてもらえないし、留守の間ずっとそのまま。
さ、どっちがいいか、人それぞれ。上に挙げた2つのパターンは極端だが、実際はその中間くらいの場所がほとんどだし、どんな場所でも移住者が増えるにつれ、高齢者が歳を重ねて天に戻られるにつれ、どんどん住みやすい方向に変わってゆく。だから、田舎への移住をためらう理由にはならない。俺の場合、人づき合いがないところを好んだわけでなく、住みたいと思った家に近所づき合いがなかっただけだ。
要は、住みたいと思った場所の状況に合わせるか、近所環境を精査するか、それだけのこと。移住後の人間関係がどうかなんて、わからないし、キミ次第だ。
怒られて貰う低評価、怒られて貰う野菜、どっちがお好き?
田舎の人間関係では、タダで野菜などがもらえることも多い
田舎はみんな優しくのんびりしていてパラダイス、なんてことはない。人づき合いなんてものは、田舎だろうが都会だろうが会社だろうが、達成感や絆を感じるポジティブな面もあれば、噂や派閥やいじめなど面倒でネガティブな面もあるものなのだ。
同じ面倒なら、田舎のほうが断然いい。会社で面倒な上司に怒られると、低い評価を貰って、左遷や降格や減給になりかねない。田舎で面倒な年長者に怒られても、「芋が食いきれないほど採れすぎちまったから、持ってけ!」と段ボールいっぱいの野菜を貰えたりする。会社で怒られて貰う低評価、田舎で怒られて貰う野菜、どっちがお好き?
サラリーマンを少なからず経験している俺からすれば、会社で起こる人間関係の問題の大変さや気遣いに比べれば、田舎で起こる人間関係の気遣いなどよっぽど楽しくてラクだ。
会社で散々と耐え忍び、解決能力も高めてきたからだ。意味のない経験はない。たいていの会社勤め経験者なら、そう思うに違いない。問題を解決後に良好な関係になることも多い。互いに持ちつ持たれつだからだ。会社では上下関係や競争が常だけにそうはいかない。