「ネット弁慶ではない」という証明へのダシにされるネット有名人
ただひとつ言えるのは、ネットの世界、それも外部から見ればあまりに狭い「はてなムラ」に逃避した容疑者を「救済した」のが、殺人という暴力だったことだけである。
この社会には、暴力によって社会階層を一気にのし上がろうとする人たちが存在する。
非常に少ない割合だと思いたいが、2001年に名門小に侵入して児童を殺傷した宅間守や、10年前の秋葉原にトラックで突っ込んだ加藤智大、さらに先日、新幹線内で見ず知らずの他人に刃物を振り下ろした小島一朗など、羅列するだけでも恐ろしい事件が蘇ってくる。
いずれも、社会システムからドロップアウトした者が「この社会の序列を無にしてやりたい」と欲望し、人を殺めた事件である。彼らは無秩序な暴力によって、自己の存在を、社会に認めさせようとする。
彼らが志向する「社会」は、これまで「世間」とほぼイコールであった。しかし2008年の秋葉原事件以降、「ネット社会」への憎悪から犯行に及ぶケースもあることが分かってきた。
秋葉原事件の加藤智大は、小さなネット掲示板で相手にされなくなったことを恨んで、その掲示板に集う「誰か」がいる「かもしれない」歩行者天国に突っ込んだ。
失うもののない彼らに、抑止力は効かない。こうした人間像を、2ちゃんねるの創始者ひろゆき氏は「無敵の人」と呼んだが、まさに彼らは無敵であり「無秩序」である。こちらの想像も及ばぬ欲望をもった人間が、ネットによって可視化されやすくなっている。
Hagexさんほど有名でも人気者でもないが、インターネットで発信している以上、私は彼のような目にあうかもしれないと常に考えている。
現に、明かしてもいない本名や住所がネットに晒され、一度も写真を載せたことのない家族や親類の写真が、本名が、誹謗中傷に使われた。大手掲示板には親類の職業が載り、私のことをからかう電話をしてやろうかと書く者もいた。
尾行され、取引先に電話をかけられ、仕事を妨害されたことも一度や二度ではない。同じくらいの被害にあっている人は、他にもいると思う。
犯人が何の目的でやっているのか、私にはさっぱり分からない。
今までは愉快犯だと思っていたが、もしかすると松本容疑者のように「ネット弁慶ではない」ことを示すため、無力な己の「行動力」を見せつけるためのダシに使われているだけではないか。そんな気がしている。控えめに言っても虫酸が走る。
今思えば、自分がネットでオピニオンを気取り始めた2008年頃、「彼ら」の無秩序がここまで深いなどとは想像できなかった。ようやく理解し始めたのは、実際に炎上してからだ。「自分だけは大丈夫だろう」は通用しなかった。
Hagexさんのように手堅く、隙のないように見えた人すら、無秩序な怒りに巻き込まれてしまうのだ。「彼ら」はいつ暴発し、襲いかかってくるか分からない。今は誹謗中傷の中をくぐりぬけて走り、背中を刺されないようにするのが精一杯だ。
できることといえば、リアルのイベントや生放送のあとには必ず迎えに来てもらうか、タクシーで帰宅する、「~にいます」というリアルタイムの情報は発信しない、行動範囲が特定されるような記述はしないことくらいだ。
セキュリティ付きのマンションにも引っ越した。『インターネットで死ぬということ』という本を出した自分が言うのも滑稽だが、私は今、ネットで殺されないためにたくさんのコストを払っている。
インターネットで生きてきた私にとって、ネットはすなわちリアルだ。しかし「彼ら」にとっても、ネットがある種のリアルと結びついていることへの想像力が足りなかったと思う。
Hagexさんの訃報に際して、自分が何を守り、何を貫きたいのか改めて考え直している。ときには「貫き通す」ことを、諦める必要があるのかもしれない。
<文:北条かや>
【北条かや】石川県出身。同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『
キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。著書は『
整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『
本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、『
こじらせ女子の日常』(宝島社)。最新刊は『
インターネットで死ぬということ』(イースト・プレス)。
公式ブログは「
コスプレで女やってますけど」