右で飛越中の馬がポレール。彼の活躍が障害競馬存続の後押しとなった ※筆者のコレクション・バンダイサラブレットカードより
障害競馬の絶対王者・オジュウチョウサンによる平地挑戦表明。すでに競馬ファンの間で大きな話題となっている。7月7日の福島競馬、開成山特別に武豊騎手騎乗での出走に向けて調整が続いている。
この挑戦の成否はともかく、障害競馬がこれだけ話題になるのは筆者としては単純に嬉しい限りであり、レースが待ち遠しい。
しかし、障害競馬は一歩間違えれば日本から消えていたかもしれない。1995年、阪神・淡路大震災があった年だが、この頃、障害競馬界は確実に「終わり」に向かってしまっていたのだ。
きっかけとなったのはJRA(中央競馬)でのアラブ競走(アングロアラブ)廃止だ。現在の日本での競馬で走る馬は、ばんえい競馬を除いて基本はサラブレッドと呼ばれる種だが、過去にはアラブ種とサラブレッド種の混血であるアングロアラブ種の馬によるレースがJRAを含め各地で行われていた。
アラブはサラブレッドより丈夫であるため多くの競走をこなせる利点があり、地方競馬を中心に数多くのレースが組まれていた。
アラブの名馬の1頭・シゲルホームラン。※筆者のコレクション・バンダイサラブレットカードより
しかし、サラブレッドと比較してのスピードが劣るなどの理由で、徐々に規模が縮小されていたのだ。そこへいよいよJRAでの競走が廃止となってからは、以降雪崩を打つように地方競馬でも廃止、アラブ競馬は日本から消えてしまった。
余談だが、当時アラブ競馬の最強馬であったムーンリットガールはJRAでのアラブ競馬が廃止となった後、そのまましばらくは地方競馬に転厩せず、JRA所属のままサラブレットと戦い続けたのだが勝つことは難しく転厩。笠松で活躍後、盛岡で引退、繁殖牝馬になったが、その後行方不明になってしまうという、JRA最優秀アラブを最後に受賞した馬としては悲しい最期だった。
アラブ競馬のJRA廃止によって、不人気の競馬種目は廃止されるという印象を当時のファンは持つようになってしまったのだ。
「次は障害戦が消えるのでは…」
大一番の中山大障害ですら出走の数が揃わず、1995年の春の中山大障害は8頭、秋に至っては6頭(しかも完走は3頭)の状況であった障害競馬。ファンのみならず当時の競馬メディアでも、そういった話題がしばしば上がる状態であった。