東京障害特別(春)でのポレール号(鞍上は古小路騎手)
その浜口氏は1997年の年頭所感にて、なんと「障害改革」を表明したのだ。たった2年で、障害界の立場は地獄から天国にひっくり返ってしまった。
ダート競走の改革は1997年にはフェブラリーステークスをG1に昇格にて進んだのだが、同様の流れで1999年、障害競走が改革されグレード制が導入。晴れて中山大障害はオリジナルJ・G1ファンファーレが流れるようになったのである。
ナリタブライアンによってもたらされた競馬人気のタイミングで重なったダート競馬の隆盛、さらにそこに重なった名馬ポレールの出現、そして偶々起きた理事長の交代……今やオジュウチョウサンがJRAの宣伝ポスターに採用され、障害馬としては異例のグッズ展開が始まり、ぬいぐるみが即完売してしまうような現在の道が開けたのも、こういった危機を乗り越えて達成されたものなのだ。
さて、オジュウチョウサンの平地挑戦。そもそもトップクラスの障害馬が平地に挑戦すること自体は特に珍しいことではない。
昔は障害の賞金も平地競馬の賞金に計上されていたので、先のポレールが天皇賞(春)や京都大賞典、大阪杯に挑戦していたり、障害重賞を3連勝したアワパラゴンが日経賞に、さらに古くなると中山大障害を3連覇したバローネターフも天皇賞(秋)に出走している。
しかし、いずれも勝負にはならず大敗。結果からは無謀な挑戦のように見えるが、当時は仕方のない挑戦でもあった。昔の障害戦は、勝てば勝つほど負担重量が加算されるシステムだったために、回避策として半ば調整目的での平地出走だったとも言われている。そのため、システムが変わった現在の障害競馬における今回のオジュウチョウサンの平地挑戦は、純粋な「二刀流」への挑戦となるわけだ。
ペースについていけるのか? 兄弟馬は平地でそれなりには走れているぞ……7月7日に向けて様々なファンの妄想を呼んでいる時点で、この挑戦は充分な意義を持っている。現在でも色々な競馬があり、挑戦が話題になるのはとても幸せなことなのだ。
【シグナルRight(佐藤永記)】
半勤半賭のセミギャンブラー。Twitterやニコ生『公営競技大学』にて公営競技について解説をしている。
@signalright