教育を意識した習得の場だった米ハイスクールの名監督の指導
こう語る松下氏だが、自身がアメリカ・テキサス州のハイスクールで過ごしたときは、NFLに何人も送り込む名伯楽の元で選手生活を送った。アメリカのハイスクールのフットボールチームというと、「勝利至上主義」が日本以上に凄そうに思えるが、その名監督の指導は、それとは異なるものだったという。
「私の高校時代の監督は全米最優秀監督に選ばれた実績があり、実力や人柄共々申し分ありませんでした。毎日の練習で監督を見ない日はなく、練習の終わり際に必ずスピーチがありました。チームとしてどうすべきかより人としての在り方を色々な形で説いていたと記憶しています。
私自身選手としては底辺層の控え選手だったのですが、監督と直属のコーチから何かと声をかけられ、握手し、時に褒めてもらうこともありました。アメリカンフットボールのチームというよりは教育を意識した習得の場だったような気がします。
この監督から私が知る範囲で3名のNFL選手が出ています。うち2人はスーパーボウルに出場し、もう1人私と同期のクォーターバックは大学時代にチームを率いて来日し東京ドームで行われたNCAA公式戦で当時の全米記録を樹立しました
さらに、設備や用具、環境やプレイ機会に至るまで恵まれており、用具やユニフォームは全て無料貸し出し、テーピングも無料でした。
コーチや監督は10名おり、日中常勤教師をしていました。選手はチームは1軍の他に2軍にあたるJV、そして下級生チームが3つで編成されていました。他の高校も同じようなチーム編成だったので、2軍以下のチームも年10試合が行われています。
アメリカンフットボールは一度退場した選手を再び出場させることが可能なので、2軍以下チームではできるだけ多くの選手が出場機会を与えられていました。私の場合お情けで出場させてもらった1軍の2試合含め、4年間で25試合前後、いずれかの形でプレイしています」