水原希子も怒り心頭! 荒木経惟がモデル女性に注いだオリエンタリズムのまなざしとは

東洋への憧れと差別心が一体になった「オリエンタリズム」

 文学批評家のエドワード・サイードは、西洋が東洋に一方的なイメージを押し付ける眼差しを「オリエンタリズム」と呼んでいる。  オリエンタリズムは、植民地支配を進める西洋が「未開拓な東洋」を支配する力である。アジアや中東に「憧れ」や「ロマン」を投影する一方、野蛮さ、未熟さ、性的受動性などのイメージを押し付け、支配下に置こうとする欲望。それがオリエンタリズムだ。  KaoRiさんという女性を、物言わぬ被写体として切り取り続けた荒木経惟の作品にも、このオリエンタリズムと似た欲望が感じられる。  彼女のnoteには次のような内容がある。 「(※引用者注:荒木氏の「ミューズ」を強いられた結果)『ミステリアスで、なんでもする女』というようなイメージを公に晒されたことによって、日常生活は長い間、ストーカー被害に悩まされていました」(KaoRiさんのnoteより)  KaoRiさんは荒木氏によって、本来の自分とは違う「ミステリアスで、なんでもする女」というイメージを形作られていった。主体性の欠如した、受動的なモデル(=模型)。その空虚な器への憧憬は、差別心と一体になり性暴力を帰結する。  彼女は「つきまといや家宅侵入されて写真集を盗まれたり、ゴミを漁られたり」などのストーカー行為に苦しんだが、荒木氏からは何の支援も得られなかった。  自らの搾取性に無関心な支配者ほど、対象に「ミステリアス」なロマンと支配の悦びを感じるのかもしれない。荒木氏は下記のようにも発言したとされる。 「『俺の女』『ミューズがいるから死ねない』と自分にとってあたかも大切な存在のように使われる時もあれば、『娼婦』『マンションは買う必要のないレベルの女』『私生活は一切知らない』と都合に合わせて表現されました」(KaoRiさんのnoteより)  オリエンタリズムのまなざしを注ぐ支配者は、対象をもてはやす一方で差別する。対象のエロスや美しさをもてはやす一方(ミューズという表現がまさにそれである)、対象への差別心を隠さない(娼婦という表現がそれに当たる)という矛盾だ。  この引き裂かれた支配者の自己分裂に、荒木氏は気がついていない。自覚した途端に、分裂した自我が危うくなるからであろう。  それとも「写狂老人」と自称する彼には、他者への配慮に必要な自我もないのだろうか。過去には荒木経惟の被写体だった19歳の女性が、彼から性的虐待を受けたとフェイスブックで告発したこともある。  KaoRiさんは述べる。 「怒りがあるからといって、全てを否定したいわけじゃないし、あなたのせいで人生がめちゃくちゃになったと大声あげて言いたいわけじゃない。どうしてこうなったのか、お互いに相手の気持ちを知って、わかりあって終わらせたかったのです」
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「荒木さん あなたにとって女性とは一体何ですか?」
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