暮らしている場所を明かしてしまえば、絶対数が少ないのですぐ特定されてしまうため、関東平野より外のある地方都市とだけ言っておこう。
アンナは二十代半ばのカタルーニャの小都市出身の女性である。バルセロナではない。父親は公務員で、母親は生花店勤務だという。
大学で日本語を勉強し、そこで知り合った日本人男性と暮らす会社員である。日本暮らしは三年目となる。
フランコの弾圧は熾烈を極めた。
カタルーニャ語は禁止された。唯一カタルーニャ語を話してよかったのがFCバルセロナの本拠地カンプ・ノウだった。同クラブのスローガンで、スタジアムにも書かれている“Més que un club”とは「単なる一クラブ以上の存在」というカタルーニャ語だが、これはつまりFCバルセロナこそカタルーニャの独立や誇りの象徴であるというアピールである。
スペイン語(カスティーリャ語)の“Más que un club”ではないことが重要だ。その意味でバルサの面々が独立支持を表明するのはある意味で当然である。だからこそ、故ヨハン・クライフのような本物のカリスマでさえカタルーニャの風土に配慮して監督時代は記者会見をカタルーニャ語で行い、息子には「ジョルディ」というカタルーニャの聖人の名前を命名した。
そんなアンナが話してくれたのは実際に母親が直面したフランコの弾圧だった。
「私の母には元々カタルーニャの名前があったのですが、それをカスティーリャ風に改名させられました。結局フランコが死んで独裁が終わったときに元の名前に戻すことができたのですが、今思っても酷いと思います」
たとえば、スペイン語の名前に「カルメン」というのがある。これはカタルーニャ語だと「カルマ」となる。同じ意味で、スペイン語の「ホセ」は「ジュゼップ」となり(例:ジョゼップ・グアルディオラ。ちなみにジョゼップの愛称形が「ベップ」)、「ヘラルド」は「ジェラール」(例:ジェラール・ピケ)となる。「アントニオ」は「アントニ」(例:アントニ・ガウディ)で、「パブロ」は「パウ」(例:パウ・ガソル)となる。
彼女の母親の名前は“Roser”(ルセ)という。これがカスティーリャ風の“Rosario”(ロサリオ)に変えさせられたのだという。
「母の名前をカスティーリャ語で綴ると、おばあさんしかいない感じです。古臭く聞こえますね」ともいう。
続いて筆者はアンナに祖父母のことを聞いた。どこから来たのかということもあるし、内戦に参戦していた可能性もあるからだ。
「祖母の一人は南のバレンシア出身でした。そこからカタルーニャに移り住んできたようですね。ですから私は一部スペイン人でもあるのです。祖父についてですが……そう言われてみると内戦について聞いたことはありませんね」