海底遺跡を発見した男・新嵩喜八郎の尖閣諸島上陸記<2>
『海底遺跡を発見した男・新嵩喜八郎の尖閣諸島上陸記<1>』、与那国島の海底遺跡を発見した新嵩喜八郎氏を訪ねた筆者。島からほど近い、尖閣諸島にも上陸したことのある同氏の話は続いた。
「ほかにも小さな白い花をつけるランが尖閣にあったんですよ。そこでその花を与那国に持ち帰り、私の義理の父が栽培していたのですが、盗まれてうまくいきませんでしたね」
現在、問題のヤギは尖閣で四つから五つの群れに分かれているという。
「本来はこれも国が管理すべきところだと思うのですが、海上保安庁がああだこうだ言いますからね……そこに中国がさらに口をはさんできますから、手を出したくても出せないという状態が続いているわけです」
周知の通り、石原慎太郎氏が東京都知事だった時期に尖閣買い取りを宣言し、全国から莫大な基金が集まった。最終的に尖閣は国有化されたわけだが、新嵩に言わせるとこれは民主党政権(当時)の数少ない功績の一つだという。
「あのとき国有化したことと、もう一つよかったのは民主党政権が尖閣に港を作らなかったということです。万一港湾施設を作ってしまえば、台風からの緊急避難とかいった口実で中国船が“立ち寄って”、そのまま居座って既成事実を作ろうとしますよ」
長年にわたり、与那国は完全に「忘れられた島」だった。それは日本政府に忘れられた、という意味だけではない。沖縄本島、那覇からも忘れられた存在だった。
かつては台風の時に唯一情報源となるラジオも台湾などの電波とジャミングしてまともに聞こえなかったという。
「もう何十年も前になるのですが、ベトナム難民が与那国にたどり着いたことがありました。もちろんボートピープルですから、何もせずに放りだすわけにはいきません。助けてあげなければなりません。しかし、もしこの人たちが武装難民だったらどうなりますか? 当時の島には警官が二人しかいませんでした。拳銃二丁で島を守れるはずがないでしょう。去年から自衛隊が常駐してくれるようになりました。家族連れが多いおかげで過疎化が進んでいた島にも子供が増えてきました。これでやっと私たちも本当の日本国民として認められたという実感を得られるようになりましたね」
筆者が与那国を訪れた主目的は25kmマラソン大会だったが、与那国の自衛隊は大会後のパーティで演奏を披露し、大いに場を盛り上げてくれた。そしてランナーのために完走後の臨時大浴場も提供してくれた。
「それだけではありません。大型台風に襲われた時も救助や道路の復旧作業をしてくれましたからね。それまでは町役場の職員だけでそういった作業をやっていたわけですから、はかどり方が全然違いますよ」
尖閣の話が面白すぎてそちらに大部分を割いてしまったが、新嵩の最大の功績は言うまでもなく「海底遺跡発見」である。島に行くと、新嵩本人がガイドを務める遊覧船でその全貌を見ることができる。
「与那国は健全な島でしてね、風俗店もなければパチンコ屋も一軒もありません。だからこそ、自衛隊の皆さんも安心して家族を住まわせることができるという側面はあると思います。ただ、離島ですから物価が高いですし、暮らすのが大変な島であることも間違いありません。かつてはまともなダイビング船もありませんでしたから、石垣から12時間かけてやってきて、安定が悪いサバニ船で海に出るというのが当たり前でした。そして、島周辺を潜っているうちに海中でまるでマチュピチュの遺跡そのもののような光景が広がっていたのです。そこで私が“海底遺跡”と名付けて少しでも人を島に呼ぼうとしたのです」
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