ちなみに、この請け負った2社のゼネコンだが、それぞれに興味深い背景がある。
まず、ビン・ラディン社は、オサマ・ビンラディンの父親であるムハンマド・ビン・ラディン(※10番目の妻との間にできた17番目の子どもがオサマ)が創業した会社であることは名前からもわかるだろう。
そして、サウディ・オジェール社はそれ以上に「時の人」的な背景がある。
というのも、現在の同社トップは、レバノンの現首相で、つい最近サウジで一時的に拘束されたサード・ハリリなのである。
サード・ハリリの父親は、レバノンの元首相で退任後の2005年に爆破テロによって暗殺されたラフィーク・ハリリである。ラフィークが1970年前後にレバノンで創業した建設会社がサウディ・オジェール社の原点である。同社は、原油価格上昇の影響で空前の好景気に沸いた1970年代のサウジアラビアで急速に成長し、79年にはフランスのオジェール社と合弁。その後、オジェール社を買収してサウジでゼネコンの大手企業として発展した。そしていま、サード・ハリリが同社の後継者(会長。CEOは異母弟のアイマン・ハリリ)となっているのである。
サード・ハリリがリヤドで拘束されたのは、サウジのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が11月に目論んだ汚職摘発を名目に、彼らの財産の大半を没収し、同時に政敵としての彼らを排除するという行動に出た事件の一貫であった。
サルマン皇太子はハリリにサウディ・オジェール社の経営権を譲渡するように迫ったという。ハリリはそれを拒否した。それが理由で拘束されたのだ。
リヤドのホテルに拘束されていた間に、彼は米国とフランスの大使とコンタクトを取ろうとした。両国からサルマン皇太子に圧力を掛けてもらい、ハリリを解放するように要求してもらうためである。フランスのマクロン大統領がアブダビ訪問の後に予定になかったリヤド訪問を決めたのもハリリの拘束を解くためのサルマン皇太子への牽制であったとされている。(参照:「
HispanTV」)
その甲斐あってか、ハリリは拘束から解放されてパリを訪問した後にレバノンに帰国した。しかし、彼の子供の二人がリヤドに「人質」として残っているままだ。
工事の遅延に加えて、会長をめぐるこのようなトラブル。砂漠の砂以外にもさまざまな「障害」に遭遇するサウジの高速鉄道。果たして予定通り、2018年3月から運行できるようになるのであろうか……。
<文/白石和幸>
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営する生活。バレンシアには領事館がないため、緊急時などはバルセロナの日本総領事館の代理業務もこなす。