編集者との出会いで生まれた『100億の男』と『幸せの時間』
――バブルが崩壊する前の1989年に『ジャンクボーイ』の連載は終わっています。
国友:『100億の男』は何年からだっけ?
――1994年から連載が始まっています。
国友:だよね。実はジャンクが終わった後に、ジャンクみたいな読み切り漫画を描いてた頃があるんですよ。でも編集の人に言われたんです。もうこういう時代じゃないんだよって。主人公の設定がいまだにバブリーだったから、ウケけなくて。それで困っちゃった。
いろいろ考えていた時に、ある編集から「100億の借金を背負った男、というコンセプトって面白くないですか?」っていう提案があった。ありじゃんと思った。それで『100億の男』が出来た。
――それって超優秀な編集者ですよね。当時ってバブル崩壊後の「癒し」ブームで、缶コーヒーの「やすらぎ」CMが受けてたりしたんですけど、そういう中でそんなシビアなコンセプトを提案出来たんですね。
国友:そう、節目節目で優秀な編集と出会ってるんだよね。僕は一人で作るタイプではなく打ち合わせを重視している。だから足を向けて寝られないっていう編集者が何人かいる。一人で全部できる人って少ないと思うんですよ。僕みたいなレベルの人間をもう1レベル上げてくれるのは他人の力だと思ってるしね。だから人の言うことを聞く力も大切だなって思う。
――『100億の男』も、テレビ化にもなったくらい大ヒットしましたが、普通はヒットの後にすぐまたヒットを出すって難しいと思います。
国友:いや、僕は意外と粗製乱造タイプなので(笑)。下手な鉄砲系なんですよ。だから打率は低いの。打率1割くらいじゃないかな。投資ファンドに近いかもしれない(笑)。あれと一緒。もうガンガンやって、1本回収できればいいやという。何年かに1本ヒットが出て、ヒットが出ればまた次しばらく描かせてもらえるので、綱渡りでもう40年経っちゃった。『100億の男』がヒットして、その後またふにゃふにゃになっちゃうんですよ。また煮詰まっちゃう。
――『100億の男』の連載が終わるのが1996年で、その後もずっと日本の停滞は続きます。
国友:その頃には、僕も結婚とかして、いろいろ生活条件も変わったんです。僕の漫画って、基本的に物語の中にエロティックな部分があって、『100億の男』でもかなりエロを描いてたんですけど、でも僕が年を取っちゃって、若い主人公が性欲の赴くままにガンガンやるみたいなことが、自分と感覚的にズレがあるというか、嘘っぽくなっちゃったんですよね。
――『ジャンクボーイ』を描き始めた時はすでに32歳で、『100億の男』が終わるころはもう40歳を超えてるんですよね。
国友:作家として使い勝手が悪いな、と自分でも気づき始めたのね。自分はどうすべきか考えてた。そうしたら、また出会いがあるんですよ。『漫画アクション』で相原コージ君を担当していた編集者がやってきて、彼が「またアクションでやろうよ」と言うんですよ。国友やすゆきを今後どう使うか考えてくれて。年相応の話を描こう、でもやっぱりエロも抜けない、と。そうしたらね……。ところで山田太一という脚本家をご存知ですか?