思想家・西部邁大いに語る「都民ファは今の日本人によく似合っている」

チンチロリン生活に終止符を打った「連合赤軍事件」

 左翼運動を終えた西部は、「沈没」の時を経て、デカルトの「世間という書物を読む」という言のごとき日々を過ごした。大学に籍を置きながら、妻子を食べさせるために通産省の外郭団体でのアルバイト仕事に精を出したり、はたまた夜の街で「貧乏人の金のむしり合い」よろしくチンチロリンというサイコロ賭博に興じたりして時を過ごした。  その後、ある応用問題の解法をつきとめたことで、東大教授で数理経済学の権威であった宇沢弘文からの評価を受けた西部は、’70年に横浜国立大学の助教授に就任した。その講義の内容は近代経済学の批判的解説を主としていたものの、自分が独自に進めていくべき確固たる学問の方向性が定まらずに茫漠とした気分でいたという。そんな西部を“本気”にさせたのは、’71年から’72年にかけて起きた一連の「連合赤軍事件」だった。

西部邁氏

西部:左翼というものには、とうに興味を失っていたけれども、どこか野次馬的なところがあったんだな。あさま山荘での銃撃戦なんて、「もっとやれ!」と言いながら、テレビを見ていた。ハッとしたのが榛名山でのリンチ殺人事件だよね。そんな時にカミさんが、突然泣きだして、こう言うんだ。 「あなたは10年前、私の前から一度姿を消した時に、なぜ左翼を辞めるのかという私の問いかけに、『このまま行けば殺すか殺される。殺すも殺されるも覚悟の上だが、訳のわからないのが釈然としない』と応えた。その意味はこういうことだったとわかった」  それを言われたときに、「あーあ、俺は(独房から出てきたあとの)10年間何をやってたんだろ」って思ったんだよね。運動の果てに、殺すか殺されるかの世界が待っているのはわかっていた。でも、共産党とは何か、革マルとは何か、ということさえ、一切思想的に検討せず、自分の中ではっきりとさせてこなかったんだな。  大学に籍を置いて、数学をいじくっていて、カミさんと子供をを食わせるために頑張ってはいたけども、精を出していたのは主にチンチロリン(というサイコロを使った賭け事)ですからね。正直にいって、このままではマズイ、という思いに駆られたよね。  それがきっかけで、自分を取り囲むものを、心理学的に、社会学的に、言語学的に、あるいは政治学的に解釈するために、ありとあらゆるジャンルの文献を渉猟しはじめた。だって経済学やってたって、自分の精神は立ち直らないだろう(笑)。  ちょうど東大の教養学部に移ったのを幸いに、ワーッと3年くらい。それくらいじゃないかな、俺が本当に勉強したのは。そして、最初の本(『ソシオ・エコノミックス』中央公論社、1975年)を書いた。  俺は、「人生に意義を感じれなくなったら、人間は死ぬべきである」という、アルベール・カミュの意見に全く賛成だったけど、しばらく生きてみなければ自分の人生に意義があるかどうかもわからない。それでも意義が感じられなかったら、カミュのいう通りにしようと思ってた。    でも、こいう流れで、本を書くことを覚えちゃったでしょ。そうすると、あるテーマが思いつくわけさ。書きたいかはわからないけど、書いてみようかなと思うものが。そうやっているうちに生きているという感じだったね(笑)。

夫の「東大辞職」を喜んだ妻の言葉

 アメリカとイギリスへの滞在を経た西部は、東大教養学部の教員として奉職する一方で、その言論活動を活発化していった。評論集『大衆への反逆』をはじめ、保守思想と大衆社会批判を根本に据た著作群が、この時期に発表されている。学会などには、一切に所属せず、「アカデミズムとジャーナリズムの相互乗り入れ」の総合的な文体を貫いた。  社会科学科内の人事問題に端を発した「駒場紛争」が起きたのは、’88年だった。社会思想のグループに教員の欠員が生じ、ポストモダンの教員を呼ぶ方針となった。人事委員長に選出された西部は入念な段取りで、人類学者の中沢新一氏を念頭に置いた新人事を確定的にしたものの、学部全体の教授会での最終決定を前に状況は一変し、一部の教員による異様な反発により潰されてしまう。最高学府で起きた“烏滸の沙汰”を前に、西部は東大辞職を決意する。 西部:東大を辞めたいというのは、漠然と思ってはいたけれども、具体的な顛末というのは、あの通りなんだ(笑)。中沢(新一)くんは、思想的には敵方だからね。でも、自分の近くに敵がくるっていう自体が面白いことなんだよ。俺は昔からそういう性格で、味方になんかきて欲しくないだから(笑)。それで、人事を取りまとめるために、できるだけの努力をしたんだね。  結局、学部内の異様な反発によって潰されて、俺も東大を辞める方向に動いた。そのとき、辞職を引き止めにきたある東大教授に、カミさんが言ったんだよね。「うちの夫が、このチャンスを逃すはずがありません」って。自分の夫は、野に放たれたほうがいいと思ったのかもしれないけど、最近になって、あの言葉はこんな意味だったんじゃないかな、なんて思うんだよね。  あの人は昔から文学少女だし、札幌人で世間のことをよく知らないでしょう。気持ちの上では、「私がこの男を助けるんだ」って思って、北海道から出てきたんだ。助ける力なんてないのにね(笑)。でも、俺も頑張り屋だからね。アルバイトに精を出したり、東大の先生になったりして、家族をどうにか食わせてきたわけさ。  俺の仮説だけど、カミさんは不愉快だったんじゃないかな。「何なんですかこの人は」って。食いっぱぐれの異星人みたいな変な奴を、私が助けるつもりできたのに、助けるタイミングが全然こないからさ。だから、俺が東大を辞めるかどうかというときに言った、「このチャンスを逃すはずがありません」というセリフの主語は、カミさん自身だったんじゃないかな。  ようやっと、私の選んだ男は、19、20歳の私が思い描いた通りに、食いっぱぐれます、と。それを私が助けます、と。北海道人にはそういうの多いんだよ。打算ができないから、北海道に流れたんじゃないか(笑)。本人がどう思ったかどうかは、死んだ骨だから確かめようがないけど、そんな意味だったんじゃないかな、って最近になって思うんだよね。評論家になるってとき、これから暮らしていくのに、どれくらいの金額が毎月必要かなって聞いたら、「5万円」って言うくらいのカミさんだからね(笑)。  そのあとで、雑誌を発刊したり、塾の運営をしたりしたけど、カミさんはすごく嬉しそうに手伝っていた。何でこんなことが楽しいんだろうって、こっちが思うくらいに。まあ、実質上はいてもいなくても、変わらない程度の手伝いだったんだけど(笑)。
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