森町氏は会社設立のための資本金200万バーツを用意できなかった。そのため、タイ人の会社として立ち上げ、時機を見て森町氏名義の法人に切り替えるという、法の抜け道を利用することにした。これで一応ビザと労働許可証はどうにか取得できた。
2016年7月開業以来、森町氏の無許可営業は続いた。万が一食中毒を出してしまったらごめんなさいで済む話ではない。その点を彼に問うと実にあっけらかんとしていた。
「うちで扱っている料理は生ものではないので食中毒は出ませんよ」
万が一、ということを再度訊いてみても「起こらないから大丈夫」としか答えなかった。タイは経済発展とSNSの発達でタイ人自身のモラルが高くなってきている。日本人があまり多くなかった2000年以前のような低クオリティーの経営はできない。本物の味を知り、先進国の衛生観念や経営手法を理解しているタイ人も増え、いい加減な店は継続できない。
ましてやFacebookとLINEの普及率は日本以上とも言われるタイでは悪い噂はあっという間に広まってしまう。タイ在住が10年近くになるというのにまるで旅行者のような感性でいる森町氏の行動は、もし問題を引き起こした場合、一気に日本人起業家たちに対しタイ社会の風当たりが強くなってしまい、連鎖的にタイの日本人社会が痛手を被る可能性もある。誰もが彼の行先を不安視し始めていた。
素人料理でタイ人にさえも受け入れてもらえなかった森町氏の店舗は案の定2か月で撤退を余儀なくされた。それでも、彼の前職である日本料理店にいた日本人調理師にアドバイスをもらいながら、商品の味を多少は改善し、その商品を他の飲食店に卸すことをビジネスの主軸に置いた。
このへんの切り替えの速さは、タイ人の決断力(あるいは見切りをつける早さとでもいうか)の影響もあったのだろう。
コンビニでさえ日本の輸入商品が置かれるなど、タイ人の舌はだいぶ肥えてきている
ただし、セントラルキッチンの許可は持っていないため、早急に別の物件を契約する必要が出てきた。取引実績のない森町氏のセントラルキッチンがどんなところか知りたいという相手もいる。しかし、会社自体が自分のものでもなく、製造現場の認可も受けていない。到底、取引先に見せられるような状態ではなかった。
そこで物件を探したところ、保証金や賃料で初期投資だけでも数十万バーツ、日本円で200万円以上はかかることがわかる。操業を始めておよそ5か月。元々用意していた資金はランニングコストに消え、体力的にもうそこまで出せるものではなくなっていた。
そして、2016年12月、森町氏は決断した。日本に出稼ぎに行くことに決めたのだ。これもまた実にバックパッカーらしい考え方だ。バンコクで長期滞在し、カネがなくなると日本に戻ってバイトをして再びタイに舞い戻る。森町氏の場合、完全な職場放棄になるのではないか。
「従業員は信頼できます。ですので、ちゃんと任せてきました。ただ、日本についた初日に得意先から品物が届いていないと電話がありました。会社に確認したところ、道がわからなくて行けなかったそうです。胃が痛くなりますね」
タイ人従業員からすれば怠けていても給料が入るという絶好の機会が訪れたに過ぎない。森町氏はすでに獲得できている取引先には了解を得た上で日本行きを決めたというが……。いずれにせよ、稼働したままのタイのセントラルキッチンをどう運営するのか。
「日本でカネを稼いで、それを国際送金で送ります。信頼できる別の人にキャッシュカードを預けていきました」