――ツルモクで僕が強く印象に残っているのは、連載終了近くの10巻~11巻なんです。<サラリーマン対クリエイター> <安定対自由>というテーマがどんどん顕在化して、シリアスになっていきます。
窪之内:当時は、必ずしもクリエイター側に肩入れしようとしたわけではなくて。ただ、若い時って生き方が枝分かれしていくんですよね。自分も20代前半だったので、パンクバンドとか好きなことやる友達と、典型的なサラリーマンになって合コンして浮かれてる友達と、ちょうど分かれていく時期だった。昔あんなに粋がっていたやつらがサラリーマン化して丸くなっていくのが、リアルタイムで切なかった。このまま人生が分かれたまま、今後こいつらとシンクロすることってあるのかな、って。
――その感覚が投影されていたんですね。
窪之内:人ってこんなに変わるんだ、でも全然変わらない友人もいる。そういうのが嬉しくもあり切なくもあり、っていう。このあたりは、表現としてはすごく青臭いんだけど、みんな通る気持ちなんじゃないかな。
(c)窪之内英策/小学館
――僕も長くサラリーマンを続けていますが、いまだに<安定対自由>というテーマで悩んだりします。
窪之内:当時パンクバンドをしていた友達は、今でも髪を緑色にして、地元の高知でライブハウスを運営しつつバンドを続けています。今でも仲がいいんですよ。彼がツイッターで呟いていた「「やってからモノ言え!!」チャーミー先生が教えてくれた座右の銘っす!!」っていうのがいいなと思って、お気に入りに登録しました(笑)。
――ラフィンノーズのチャーミーさんの言葉ですね!
窪之内:一ミリもぶれずに自分の生き方を長年貫こうとしている人たちは、本当にすごいなと思う。精神力とフィジカル、どちらもちゃんと継続しなければいけない。絵の技術も日々の鍛錬なので、筋トレに近くて、さぼっちゃうと下手になる。だから描き続けているんです。ずっとコツコツ続けられる人は全員尊敬する。どんな職業であっても、かっこいいなって。
――ツルモクを描いてる頃は、カリモクの元同僚と交流はあったんですか?
窪之内:いや、もうとにかく連載で忙しくて。ツルモクにいた頃によく一緒に飲みに行ってた先輩が、一度遊びに来てくれたことがあったんです。でも当時は全然休みが無かったので心に余裕がなくて、目つきとか凄く悪かったんですよ。電車の駅まで見送ったんですけど、別れ際にその先輩がちょっとだけ悲しそうな顔をして……。その顔がいまだに記憶に残っているんです。僕がすっかり変わっちゃっていたから、悪い印象を与えてしまったんでしょうね。
――漫画はすごく楽しい印象なのに、描いている側はそこまで追い込まれていたんですね。
窪之内:描いてるほうは地獄以外のなにものでもなかったですね……。ツルモクはコメディ要素が多かったので、毎回毎回「ひとり大喜利」をやって小さいオチを何百個も考えて、それを連鎖させなきゃいけないんですよ。ストーリーの軸をブラさないで、サブキャラをまわして、ギャグも盛り込む。地獄でしたね 今考えると。
――なるほど、ギャグ漫画家のしんどさに近かったんですね……。
窪之内:今もいろいろ仕事やっていて、多少寝れなかったり、納期がキツくてしんどいなと思うときもあるけれど、ツルモク当時のことを思い出すと「今のほうが全然楽じゃん!」と思える。それぐらい生き地獄でしたね……。僕、ツルモク連載中に鬱やっちゃって、実は2か月くらい休載してるんですよ。
――えっ、初めて知りました。
窪之内:あるとき、表紙を描いているときにゲシュタルト崩壊おこしちゃって。自分がなにを描いてるのか分からなくなっちゃったんです。時間だけが過ぎていって、精神的に追い込まれちゃって。
――それでよく2か月で連載復帰できましたね……!
窪之内:2か月でなんて治らないから、鬱をやりながら描いてました。一回なっちゃうとすぐには戻ってこれないので。この時は人と会うのも嫌なので、電話の線を切ってたんです。携帯とかなかったので、編集者が「自殺してるんじゃないか」って心配しちゃって。それである日、編集者が警察と一緒に来て、合鍵で僕の部屋を空けて入ってきて。僕その時、電気消して寝てたんですけど、警官に懐中電灯で照らされながら「生きてるのか!?」と言われたりして。そういう状況だったんですよ。完全に追い込まれていました。人が壊れるのってこういう感じなんだな、って。
――ツルモクの扉絵が、最初の頃はおしゃれな感じだったのが、途中から暗く抽象的な感じになったのは、そういうことがあったからなんですね。
窪之内:あれはストレス発散です(笑)。自分が描いてる絵が好きじゃなかったんですよ。特にお約束の「漫画記号」が好きじゃなくて。だから扉絵はいろんなタッチで変えて描いてるんです。出来るだけ読者にポップに読ませるためには、大衆的な漫画記号をとりいれなくてはいけないんだけど、流行りの漫画記号に収めようとすると、その時代だけで消えていっちゃうことが分かっていたので。