――『週刊少年サンデー』の新人コミック大賞で入選して、それから漫画家としてデビューしたんですよね。
窪之内:その賞に同時入選したのが青山剛昌さんでした。僕は入選してすぐ上京して、アシスタントを一年くらいして、ツルモクの連載を始めました。20歳の時でした。
――初めての連載を「会社の寮を舞台にした漫画」にする、というアイディアは、窪之内先生のほうから出したんですか? それとも編集部?
窪之内:そこは記憶が曖昧なんですよ。自分からなのか、編集からなのか。ただ、最初は5、6回で終わる短期集中の予定だったんです。でも始めてみたらリアクションが良かったので、そのままずるずると連載が始まっていた、という形でしたね。
――ツルモクの連載当時、僕は大学生だったんですが、僕も周囲もみんな夢中で読んでました。大ヒットしていたんですが、当時はそういう世間の反響をどう感じていたんですか?
窪之内:当時はもう、分かんなかったですね。知っていたのは単純に売り上げだけです。でも、ツルモクって1000万部以上売れてたけれど、当時としてはそれほどすごいヒットではなかったんですよ。編集部からは「まあまあ」と言われてた(笑)。
――「まあまあ」って! 映画化までされてますよね。大ヒットですよ。
窪之内:当時は結構いろんな漫画が映像化されていますからね。そういう時代だったんですよ。だから売れているということをそこまで実感していたわけではなかった。
――なるほど。では同時代のサラリーマン漫画として『課長 島耕作』は当時読んでましたか?
窪之内:最初の頃に少し読んでいたくらいです。サラリーマンのファンタジーだな、という印象で、あれは一種の「007」ですよね。それはそれでいいと思うんです。ある種、男のロマンなので。それはそれでカッコいいなと。
――ツルモクが連載されていた『ビッグコミックスピリッツ』も、当時は『なぜか笑介』『妻をめとらば』など、サラリーマンが主人公の漫画が多かったんですよね。
窪之内:サラリーマンものは多かったけど、今みたいな情報量の多いリアルなサラリーマンものではないですよね。よりファンタジックで、サラリーマンに夢を持つ人たちがまだ沢山いて。当時の景気も反映していたんでしょうけど、みんなパワーがあった。今は絶望を売り物にしている漫画が多いけど、僕はそういうのが苦手で。未来の希望とか将来の楽しさを絵で表現していきたいと思っていたし、それは今もかわらない。その気持ちがないと、明日頑張ろうなんて誰も思わないですよ。
――確かにツルモクって、最終的にはサラリーマンを卒業する話だけど、サラリーマンにも希望を残してるというか、すごく視線が優しいと思います。
窪之内:カリモクにいたとき、僕自身は馴染めなかったけど、そこで働く職人さんたちのカッコ良さを見てますから。頑固者だけど、スポットライトは一切浴びないけれど、いわれたことはきっちりやる精鋭が揃っている。ツルモクには植木さんっていう職人の先輩が出てくるのですが、実際にモデルもいて、いつもチャック開けてる人で間抜けなんだけど(笑)、キメるときはキメるおじさんで。
――チャック開けてる植木さん、実在したんですね!
窪之内:サラリーマンを極めたそういう職人のスピリットを、言葉以上に絵の中に少しでも残していきたかった。だから、株でボロ儲けしているような、「なにも作ってないじゃん」という人たちがスポットライトを浴びた時代はすごく気持ちが悪かった。ものを右から左に流して大儲けして、テレビで注目されて特集組まれて。