「加藤がいたら我々は改憲論議に一石を投じた」山崎拓

池垣完
山崎拓  9月9日、かつて「宏池会のプリンス」と称され、「総理に一番近い男」とも言われた加藤紘一元衆院議員(77)が肺炎のため死去した。この訃報を受けて、政界からは加藤氏の死を悼む声が寄せられているが、最も衝撃を受けたのは、加藤氏自ら「YKK(山崎拓・加藤紘一・小泉純一郎)」と名付けたトリオのうちの1人であり、先日『YKK秘録』(講談社)を上梓した山崎拓元自民党副総裁に違いない。

 すでに、山崎氏は訃報に際し、「比類なき叡智の持ち主で、政界のトップリーダーの一人として活躍してきた。終生の畏友だった。哀悼の誠をささげるとともに冥福を祈りたい」との追悼文を発表。9月15日には、東京・青山葬儀所での加藤家・自民党の合同葬で、弔辞を読み上げた。(参照:『「9条が日本の平和を守っている」。盟友、山崎拓が弔辞で明かした加藤紘一との日々』)

 だが、いまだ加藤氏について語られていないことは数多くある。加藤氏が逝去される直前に、山崎氏が小誌のインタビューで、「畏友」について語った内容を紹介したい。

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「加藤は極め付きの秀才だった」

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YKK秘録

YKKの誕生から四半世紀。山崎拓がずっとしたためていた日記を初公開。

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