豊洲移転後は「人情が薄くなる」!? 江戸前文化の存亡にかかわる築地移転問題

移転先となる豊洲新市場(写真は建設中のもの)

鯛を「て」と書く。江戸弁がいまだ息づく世界

 前回に引き続き、仲買人の目を通じて築地移転問題を追っていきたい。

 築地の歴史は、徳川が江戸に移ってきたときに漁師を呼び寄せ、その漁師が佃島に住み着いたことからはじまる。当時、佃島では白魚が取れ、幕府に献上した残りが余ってしまう。そこで残りを売りさばきたいという要望が幕府に認められ、日本橋で魚を売りだした。小さな魚売りが市場へと発展し、やがて築地市場へと発展するのだが、今でも築地市場の仲卸商店に「佃」の文字が多いのはその名残である。築地で魚の取扱高が一番高かったのは、やはりバブル時代。一店舗の仲卸店でたった1時間の間に1000万円を売り上げた日もあったそうだ。

「帳場の伝票をふと見たら『て』ってどの伝票にも書いてある。まだ若かったから知らなくて帳場の子に聞いたら、鯛のことだって笑われてね。鯛は画数が多くて面倒だし、職人が『てえ』って江戸弁で鯛を注文するからね。そのまま『て』って書いてたんだね。バブルの頃はとにかく零コンマ何秒の世界だったからね。一秒が命取りになる。それくらい忙しかったし儲かったね」(仲買人の松崎徹氏)

 やはり築地は江戸っ子のお膝元。江戸弁とは切り離せない世界である。

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時代に合わせて仲買人の仕事も変化する

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