このスキャンダルを反フジモリ派は上手く利用した。中でも、最初の投票で16.57%の支持を集めて3位になったベロニカ・メンドサがクチンスキー支持を表明したのはかなりの影響力を与えたと言われている。
特にフジモリは、クチンスキーの牙城であるリマ市の切り崩しに成功していたのだが、このスキャンダルで後退することになった。その結果、リマ市ではクチンスキー51.4%:フジモリ48.6%という成績で終わった。(参照:「
La Republica」)
クチンスキーは、1回目の投票では24.25%の支持しか集められなかった。それが決戦投票で50.12%を獲得。およそ25%の支持率の上昇は、反フジモリ派の票の大半がクチンスキーに行ったとされている。一方のフジモリは1回目は39.18%で決戦投票で39.88%と僅かに10%の伸びだけであった。
クチンスキーはテクノクラートで政治家ではない。それが選挙キャンペーンが進むにつれて歴然となっていた。クチンスキーに信頼性はあるが、国家指導者としては物足りないというのが一般の見方であった。
また、今回の選挙は彼の功績での勝利ではなく、反フジモリ派の票が彼に投票したことがその勝利の要因だとされている。そしてそれを決定づけたのが、投票日から2週間前に起きたフジモリにまつわるスキャンダルと、彼女が迅速かつ適切な対応をしなかったことで反フジモリ派を煽る結果となった。