日本を代表する総合スーパー「ダイエー碑文谷店」ついに閉店! 新たに出店する「イオン新業態」に勝算はあるか?

 かつての「日本型総合スーパー」の象徴とも言うべき店舗の灯がついに消えた。  目黒区の大型総合スーパー「ダイエー碑文谷店」が5月5日21時を以て閉店し、41年間の歴史に幕を下ろすことになったのだ。

ダイエー碑文谷店

時代を映した「日本を代表するスーパー」だったダイエー碑文谷店

 ダイエー碑文谷店は1975年4月に目黒区の「横井産業・トーヨーショッピングセンタービル」に華々しく開店した。 「トーヨー」という名前を聞いてピンと来た人もいるであろう、このビル、実は当初は全館があの横井英樹氏(のちにオーナーである「ホテルニュージャパン」火災により逮捕)が経営する「トーヨーボウル」となる予定だったのだ。しかし、ビルの竣工が近づいた頃にはボウリングブームは終焉を迎えており、他の用途を模索していた横井秀樹氏と、東京における旗艦店の出店地を探していたダイエー側との思惑が一致、ビルは全館ダイエーが賃借する運びとなった。建物には現在も「横井産業」の文字が残っている。  ダイエーは1972年に三越を抜き国内流通業界トップとなったばかりで、碑文谷店は全盛期のダイエーの発展を支える一端を担った。

店頭に飾られていた開店当時の写真

 その後、碑文谷店は長年に亘ってダイエーの東京旗艦店として親しまれ、東京都心で随一のスーパーとしての地位を確立。1980年代後半には単独店舗での年商が200億円を超えるほどにまで成長、目黒という立地もあり「日本で一番芸能人に会えるスーパーマーケット」とも噂された。  ダイエー碑文谷店は政治の舞台にもなった。1980年代から90年代にかけては、中国残留孤児訪日団や自国産品の販売状況を視察する各国要人がたびたび訪問。ダイエー創業者の中内㓛氏が店舗を案内する姿がニュースで放映されるなど、まさに時代を映す鏡となった。1998年には隣接して別館も開店している。  2015年の時点では、館内にはスターバックスコーヒー、ヤマダ電機(旧サトームセン)、ABCマート、サーティーワンアイスクリーム、不二家、ケンタッキーフライドチキンが運営する新業態の唐揚店などといった数多くのテナントが入居しており、近年はテナントの顔ぶれも「時代を映したもの」となっていた。  閉店時の本館は8階建、別館は3階建で、売場面積は約15,000㎡、延床面積は約27,000㎡だった。
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最終日は閉店を惜しむ客で賑わう
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