「核実験の島」から避難させた船長が語る、住民の健康被害の実態
国際環境NGOグリーンピースの船「虹の戦士号」(オランダ船籍、855トン)が今年3月、福島県沖での海洋調査を終えて横浜港に寄港した。メディアへの船内公開で船長が語ったのは、米国の大気中核実験による放射性物質が降り注いだ南太平洋・ロンゲラップ島の住民が味わった苛酷な境遇だった。
虹の戦士号は2011年に就航した船で、現在は3代目。初代は1985年7月、南太平洋の仏領フィジー・ムルロア環礁で行われた核実験への抗議で寄港したニュージーランドで、フランス情報機関により爆破されている。
米国出身のピーター・ウィルコックス船長は、初代虹の戦士号でも船長を務めていた。ムルロア環礁での核実験抗議に先立つ5月、船長はマーシャル諸島共和国のロンゲラップ島を訪れ、住民の避難を支援。その当時の様子を次のように振り返った。
「かつて米国は、南太平洋で繰り返し核実験を行っていました。1954年3月にはビキニ環礁で15メガトンの水爆実験があり、120マイル(約190km)離れたロンゲラップ島にも爆風や熱波が伝わったと言われています。
その爆発があった日の午後、島には放射能汚染された“死の灰”が降り注ぎ、子どもたちはそれをつかんで遊んだり、住民は灰が混じった水を飲んだりしました。そしてその日のうちに、島民に急性放射線障害が現れたのです。
翌日、米海軍が島にやってきて、放射線量の計測や住民の健康調査を行い、次の日から住民の避難が始まりました。住民は別の島で3年間避難生活を送った後に帰還しましたが、島の放射線量は事故前よりも増加していました。多くの住民が甲状腺がんを発症しました。
その他にも白血病や早期の老化、子どもには先天的な異常などが多く見つかりました。女性には流産の多発が見られました。1980年代に入ると、住民は米国に『島から出してくれ』と要請するようになりました。グリーンピースはこれを受けて住民約300人の避難を支援したのです。
米国は、住民への健康影響を観察するために、放射線量が高いにも関わらず意図的に帰還させたのではないか。私は米国人ですが、米国がロンゲラップの住民にしたことはこの国の最も深い暗黒面だと考えています」
帰還した住民に次々と健康被害が
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