さて「マッサン」では、主にサントリー時代を中心とした大阪編と上記のニッカウヰスキー創業を描いた北海道編が舞台の中心でしたが、その後も政孝はウイスキー作りに情熱を燃やし続けました。
その象徴とも言えるのが、1959年の西宮工場と1969年の宮城峡蒸留所の建設です。これにより西宮工場では「グレーンウイスキー」が、宮城峡蒸留所では余市の「ハイランド」系に対して「ローランド」系のウイスキーの製造が、可能になりました。
ここで、ウイスキーについて、簡単な補足をしておきます。長い歴史と広がりを持つウイスキーには、様々な区分や製法があり、例えば、地域による分類で言っても、政孝が追求したスコットランドの「スコッチウイスキー」の他にも「アイリッシュウイスキー」や「アメリカンウイスキー」「カナディアンウイスキー」等の有名なウイスキーが存在します。
そして、スコッチウイスキーの中でも、スコットランド内の地域によっていくつかの分類があり、その中でも大きなものが北部の「ハイランド」と南部の「ローランド」です。もっと言うと、ハイランド内にも東西南北の違いがあったりします。
また、スコッチウイスキーは地域以外でも、大麦麦芽を単式蒸留器にかけた「モルトウイスキー」とトウモロコシを主体に連続式蒸留器にかけた「グレーンウイスキー」に大別されるのですが、グレーンウイスキーは単体ではあまり飲まれることはなく、両者を混ぜた「ブレンデッドウイスキー」に使用されます。
ブレンデッドウイスキーは19世紀に考案され「スコッチの歴史はブレンデッドの歴史」とも言われています。(なお、単体でも飲まれるモルトウイスキーは製造工程の違いにより、「シングルカスク」「シングルモルト」「ブレンデッドモルト」に更に分類されます)
なお、ブレンドといえば、左手に大麦の穂、右手にウイスキーのテイスティング用グラスを持った、大高重治デザインの「
キング・オブ・ブレンダーズ」がニッカウヰスキーのキャラとして有名ですが、この人物は19世紀にウイスキーのブレンドの重要性を説いた
W・P・ローリーで、ウイスキー愛好家達の中ではローリー卿と呼ばれています。