ケイコ・フジモリ候補の父親、アルベルト・フジモリ元大統領
ケイコ・フジモリの父親は、日本にも馴染みの深いアルベルト・フジモリ元大統領だ。彼の政権は1990年から2000年まで続いた。彼が政権に就く前のガルシア政権下では、当時のラテンアメリカは深刻な経済低迷にあり、ペルーもその例外ではなかった。ガルシア政権は人民革命と称して銀行の国有化やIMFへの債務返済を勝手に遅らせたりして国内経済の復活を目指したが、逆に経済は悪化の一途を辿りインフレ8000%という事態にまで深刻化した。しかもIMFへの債務遅延で外国からの投資もなく、国家破綻の寸前にまでなっていた。また社会的にもゲリラ組織センデロ・ルミノソが勢力を拡大して治安は乱れ社会不安は増大していた。
そのような国内情勢の中でフジモリ大統領が誕生したのである。彼はガルシア前大統領とは反対にIMFの指導に基ずいて国有財産の売却、鉱物資源などの開発の為に外資の導入を積極的に進めた。正に、ガルシア政権とは正反対の政策を実行して行ったのだ。それによってペルー経済は立ち直りを見せた。
しかし、ペルー議会は反対勢力が強く、彼の望む通りの政策が実行出来ないでいた。そこで1992年4月5日にフジモリ大統領は軍部の協力を得て「セルフクーデター」を行なったのある。議会を解散させ、国家非常事態の宣言をして戒厳令を敷いた。更に憲法の機能を停止。そのようにして大統領の権限をフルに駆使してゲリラ組織センデロ・ルミノソにもメスを入れたのである。それには彼の参謀的なモンテシノス国家情報局顧問と軍部の協力があった。
このゲリラ組織も、元々は貧困者を救済するのをその設立の根底においていた。ペルーは10%の白人社会が国の富の大半を享受している。それに白人とメスティソ(白人と先住民インディオとの混血)がその残りの富を受け、原住民の貧困層は殆んどそれが回わって来ない状態であった。それがフジモリ大統領が誕生する前のペルーの姿であった。彼はその原住民の貧困対策のひとつとして出生率を低下させることを目的に強制的に避妊手術をさせたという。それが後になって人権犯罪となって彼が糾弾されたのだ。
ただ、フジモリ大統領は特に貧困者への支援に強い関心をもっていたという。彼は熱心に貧困地域を訪問して彼らを励ました。それを実行した大統領は今まで誰ひとりいなかった。