問題はここだ。つまり、コスタリカの憲法に関して、その「解釈」がどうなされ、どう「運用」されているのかについて、ネット上の神学論争では言及されていないのである。
では、コスタリカの憲法はどのように「解釈」されているのか。
実は、内閣、国会、裁判所、公安省、法学者、そして一般市民に至るまで、「現行憲法下では、いかなる場合であれ、現実に再軍備をするとなったら不可能であり、仮に再軍備をするとなれば憲法改正が必要である」という認識で一致している。たとえば、2003年に日本の参議院憲法調査団がコスタリカを訪れてその点を質問した際、公安大臣を経験したラウラ・チンチージャ国際関係委員会委員(当時。2010~14年には大統領)は以下のように返答している。
「1949年(筆者注:常備軍を禁止した現行憲法制定年)から半世紀を経て、複雑な問題を抱えた時期をコスタリカは通ってきた。この間に2回、コスタリカの国土は侵略され、又は国防に関する問題が起こった。この2回のできごとを通して、今後、この条項は保持されるに至ったと私は信じる。つまり、コスタリカ国民は、軍隊は不要である、と言ったと私は思っている」
軍隊を「持てるのに持たない」コスタリカ、「持てないのに持っている」日本
まとめると、以下のようになる。
1.コスタリカ共和国憲法は常備軍を禁止している(「コスタリカ平和憲法派」の議論)。
2.一方で、個別的自衛権・集団的自衛権の発動条件を明記し、その際の再軍備規程を有する(「コスタリカには軍隊がある派」の議論)。
3.しかしながら、現行憲法上は再軍備も個別的・集団的自衛権も発動できないという解釈が司法・立法・行政・学者・市民の統一見解である(これが現実の結論)。
4.それは、日本が憲法に有事・平時に関わらず軍備と交戦権を放棄すると書いてあるにもかかわらず、「解釈」でそれらを可能とすることで憲法上問題ないとするロジックと極めて類似している。
ただし、ひとつだけ留意点がある。制度と解釈や運用のズレの「方向性」に関してだ。コスタリカは制度上軍隊を持てることになっているが、運用として持たないことに決めている。日本は制度上軍隊を持てないことになっているが、運用上持てることにしている。法律の解釈として前者は問題ないが、後者には問題があるのではないか。軍隊を持っているか持っていないかも問題かもしれないが、制度とその運用についてのズレ方にももっと注目をしたほうがよいだろう。
取材・文/足立力也(コスタリカ研究家。著書に
『丸腰国家』など)